不足道耳(道(い)うに足らざるのみ)(「昨夢録」)
珍しい能力がある人はこの世に少しはいると思うのだが、その人がその能力を生かして使われることはほとんどあり得ないであろう。確率の問題ですよ。

ウシはやっぱり乳牛が一番花形でモー。竹ウシ?
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中原に宋帝国があったころ、甘粛地方にあった西夏王国には、
有竹牛。
竹牛有り。
「竹ウシ」というウシが棲息していた。
重数百斤、角甚長而黄黒相間。用以製弓極佳、尤健且勁。
重さは数百斤、角甚だ長くして黄黒相間す。用いて以て弓を製するに極めて佳(よ)く、尤も健かつ勁なり。
宋代の一斤は約600グラムです。数百✕600グラムで2~300キログラム、にしておきます。
体重は2~300キロに達する。特に角がたいへん長くなり、黄色と黒の二色が交互に現れる。この角を用いて弓を作るとすごく良い。すなおで強い弾力のある弓ができる。
其近弝黒者、謂之後醮。近稍近弝倶黒而弓面黄者、謂之玉腰。
その弝に近きの黒きものは、これを後醮(こうしょう)と謂う。稍に近きと弝に近きともに黒にして弓面黄なるものは、これを玉腰と謂う。
「弝」(ハ)は「ゆはづ」。弓の左手で持つところ。真ん中へんになります。「稍」は弓の両端。弦をかけるところです。「後醮」は「あとのお祀り」という意味になりますが、何かの音訳だと思いますので、特に訳しません。
弓を持つあたりが黒(くて先が黄色)いものは、「後醮」と呼ばれ、持つところと両端が黒(くその間が黄色)いものは「玉腰」と呼ばれる。
んだそうです。
夏人常雑犀角以市焉。人莫有知。
夏人、常に犀角を雑えて以て市す。人知る有る莫(な)し。
西夏のやつらは、この竹ウシの角とサイの角を混ぜて売りに出す。(中華の)人はそんなこと知るよしもない。
サイの角も高級品ですが、竹ウシの角はもっと貴重品、と考えているらしいのです。
・・・というのは、今だからわかっていること。以前、
鎮江裨将王詔、遇有鬻犀帯者、無他文、但峯巒高低、繞人腰囲耳、索価甚高。
鎮江の裨将・王詔、犀の帯を鬻ぐ者と遇うに、他文無く、ただ峯巒(ほうらん)の高低して、人の腰囲を繞るのみなるに、索価甚だ高し。
国境に近い鎮江の部隊長・王詔というひとが、サイの角をちりばめたベルトを売る商人と出会った。そのベルトは、特別な模様があるわけではなく、長いのや短いのや不揃いの角がつなぎあわされて、腰の周りをやっと一周するぐらいの長さだったが、値段を訊いてみるとやたら高いのだ。
「これは何かいわれがあるのではないか。内地のおえら方にお贈りしたら喜ばれるかも知れんぞ・・・」
しかし、まわりの漢民族たちは、
皆不能弁。
みな弁ずる能わず。
誰もみな、なぜ高価なのか説明できなかった。
部隊の外にも問い合わせてみた。すると、
惟辛大尉知此竹牛也。
ただ、辛大尉のみ、これ竹牛なるを知れり。
ただ一人、辺境の生活の長い辛という士官だけが、「サイの角だと言って売られていて、高い値段がついているなら、それは竹ウシの角です」ということを知っていた。
人を遣わして前線にいる辛大尉に価値のあるものかどうか訊いてみると、
「それはサイの角よりも貴重なものです」
と回答があったので、王将軍は大枚をはたいてそのベルトを買ったのだった。
やがて、前線から戻ってきた大尉は、実物を見て、
「ベルトにはめこんであるんですか。竹ウシの角は、
為弓則貴、為他則不足道耳。
弓と為すには則ち貴し、他に為せば道(い)うに足らざるのみ。
弓を作るにはこれほど貴重なものはありません。しかし、他のものに使うなら、言うに足りることは何もありません」
と言った。
・・・ということを聴き、竹ウシについて勉強したのである。
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宋・康与之「昨夢録」より。言うに足らないことはたくさんありますから失敗するのはしようがない。だが、「今だけ、カネだけ、自分だけ」のグローバリズムにだけは騙されたらいかん、といつも教えてるのになあ。