形貌加瘠(形貌瘠を加う)(「何氏語林」)
なかなか痩せることはないです。

パンが無いならお菓子を食べればいいじゃないと言う人もいるが、わたしどもはカスミを食べても体重を維持できるのです。普通に食べるだけで増えて来るのです。
クリスマスイブも「ひとりカスミ」だ。最高だ。
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元・成宗の大徳年間(1297~1307)のこと、
熒惑入南斗。
熒惑、南斗に入る。
熒惑星(火星)が南斗(いて座の一部)の領域に入った。
夜空を仰いでいた許白雲先生は、「うう」と呻いて弟子たちに言った。
災在呉楚。
災、呉楚に在らん。
「浙江から揚州あたりに災害が起こるぞ」
と。
その日から、
竊深憂之。
竊(ひそか)に深くこれを憂う。
人に知られぬようにして、深くこのことを心配していた。
人に言い触らすと「人心を危うくする怪しからんやつじゃ」と当局(当時はモンゴル軍)にやられてしまいます。
ちなみに、白雲先生・許譙、字は益之、浙江・金華のひと、
数歳而孤、稍長肆力於学。受業金履祥之門、延祐初、居東陽、学者翕然従之。
数歳にして孤、やや長じては学に力をほしいままにす。業を金履祥の門に受け、延祐の初め、東陽に居りて、学者翕然(きゅうぜん)としてこれに従えり。
数歳の時に両親を失い、少し成長してからは(親戚などに応援されて)学問に力を振るった。仁山先生・金履祥のもとで勉強し、延祐年間(1314~20)の初め頃には、浙江・東陽の町に居り、学生たちは鳥が群れるように集まってきて、彼のもとで学んだ。
宋末・元初の名高い金仁山先生の弟子ですから、ばりばりの朱子学者です。
遠きは北京や山東から、近きは揚州や湖北から、
皆不憚百舎、来受業焉。
みな百舎を憚らず、来たりて業を受く。
みんな遠い距離をものともせずにやってきて教えを受けたのである。
このころ、
学者以其身之安否、為斯道之隆替。
学者、その身の安否を以て、斯道の隆替と為す。
儒学者たちは、白雲先生がお元気かどうか、が、そのままこの学問が盛んになるか衰えるかと同義である、と言っていた。
という大儒です(「元史」本伝による)。ただし、大徳年間はまだそこまでは有名でなかったと思います。
閑話休題。
是歳果大祲、白雲形貌加瘠。
この歳、果たして大祲し、白雲、形貌瘠を加う。
結局、この歳はたいへんな災害が起こり、白雲先生は、顔も体も一段とやせ細ってしまった。
ある人が訊いた、
先生豈食不足耶。
先生、あに食の足らざらんや。
先生、食べものが足らないのではないですか。(なんとかしましょうか)
先生は言った、
今、公私匱竭、道殣相望。吾豈能独飽。
今、公私匱竭し、道に殣(きん)相望む。吾あによく独り飽きんや。
「今、官も民も(食糧が)乏しく尽き果てており、道路には殣(いきだおれ)が、一方がもう一方を見られるぐらいの間隔で転がっているのだ。どうしてこんな状況で、腹いっぱい飯を食っていられるのか。
遂に翌年の収穫まで、やせ細ったままであった。
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明・何良俊「何氏語林」巻三より。わたしも、値上げがひどいので、「腹いっぱい食っていられるか」みたいなノリで体重減るかも、と思うのですが、不況とか大災害というわけでもないので腹いっぱい食ってしまっています。
それはそうとして、八潮のトラックは何故持ち上げられないのか。気になる。