1月26日 気楽な稼業ときたもんだという

在自家頭上(自家頭上に在り)(「嘯亭実録」)

あれは、ぽん、と切られたらもう終わりですからなあ。

逆さくびには下になる。

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清の名君・乾隆帝の若いころの政治を支えたのは、漢民族出身の張廷玉と満州族の鄂爾泰(あるたい)の二人であったと言われます。

特に張廷玉は雍正年間から二十年以上も内閣大学士(宰相)の地位にあり、雍正帝が

問其各部院大臣及司員胥吏之名姓、公縷陳名姓籍貫及其科目先後、無所錯誤。

さすがに勤勉を以て聞こえた雍正帝も舌を巻いたという。
というぐらいの人物というかすごい人であった。

凡其所平章政事及召対諸語、帰家時、灯下蠅頭書於秘冊、不遺一字。

晩年のある日、昼間のことをノートにつけていて、

書顛倒一語、自擲筆嘆曰、精力竭矣。

その後しばらくして乾隆帝に党派性を叱責されて免職になったが、ときに既に八十数歳であった。

ちなみに、

与鄂爾泰公同事十余年、往往竟日不交一語。

とにかく仲が悪かったのだ。

もし張廷玉が何か言うときは、

鄂公有所過失、公必以微語譏諷、使鄂公無以自容。

ある夏の日のこと、

鄂公脱帽乗涼、其堂宇湫隘。鄂公環視曰、此帽置於何所。

と。

鄂公神色不怡者数日。

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清・愛新覚羅昭連「嘯亭雑録」巻六より。帽子をかぶっている人は大失敗しても、「この帽子を置く場所はありますかのう、自分の頭はもう無くなりますのでのう」と言って覚悟を示すことができるから便利ですね。暑いとき・寒いとき・〇ゲたときは、かぶっておいた方がいいと〇本全勝さんに教えてもらいました。

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