権臣在内(権臣内に在り)(「智嚢」)
賢いひとたちが本社にいて指導してくれるから、わしらは何も考えなくていいのじゃ。

「トラブル」程度のことなら占いで決めれば大丈夫!
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天眷元年(1138。南宋の紹興八年)、南宋の韓世忠、岳飛らの軍が河南・開封の東南、水陸の要衝・朱仙鎮に攻め寄せた。対する金軍を率いるのは、太祖・完顔阿骨打の四男、時の金帝・熙宗の叔父に当たる名将・完顔兀述(わんやん・うじゅ)でありました。
ばん、ばん。(←肝冷庵が興奮して拍子木を叩く音)
初戦において岳飛との遭遇戦に敗れた兀述は、
欲棄卞而去。
卞(べん)を棄てて去らんと欲す。
「卞」は河南・開封のこと。北宋の首都であった。
守り切れないとみて、一時、開封から退避しようとした。
撤退の指示をしている時、
有書生叩馬曰、太子毋走。
書生有りて、馬を叩きて曰く、「太子、走る毋(な)かれ」と。
読書人ぽいのがやってきて、馬をぱんぱんと叩いて呼び止めて、言った、
「皇子さま、逃げ出してはなりませんぞ」
兀述、一瞥して言う、
「南宋軍に包囲される前に一度兵を退く。兵道の常識だ。なによりこの城、どんな輩が潜んでいるやもしれぬ・・・」
書生は首を振って、言った、
岳少保且退。
岳少保、退かんとす。
「南宋の先鋒・岳飛将軍、間もなく兵を退きます」
「たわけ!!!」
兀述は一喝した。
岳少保以五百騎破吾十万、京城日夜望其来、何謂可守。
岳少保、五百騎を以て吾が十万を破り、京城日夜その来たるを望む、何ぞ守るべしと謂うや。
「岳飛将軍は、わずか五百騎を率いて、我が軍の第一線の十万の軍を破ったのだ。その勢いに加えて、この開封の町の住民は、昼も夜もいつ岳飛将軍が解放に来るかと爪先立って眺めている。どうして守りきることができよう」
「それがことでござる。わたしども、歴史書を読むのが商売でして」
書生はにやりと笑って、言った、
自古未有権臣在内、而大将能立功于外者。岳少保且不免。況成功乎。
いにしえよりいまだ権臣の内に在りて、而して大将のよく功を外に立つる者は有らず。岳少保もまさに免かれざらん。いわんや功を成さんや。
「古代から、正道から外れながら権力を持つ臣下が主権者の側にいて、それでいながら前線の将軍が大きな功績を立てた例は一度もございませぬ。岳飛将軍もそれを免れることはできますまいから、どうして功を立てることができましょうか」
「・・・!」
兀述悟、遂留。
兀述悟り、遂に留まる。
兀述さまはその言葉を理解し、ただちに撤退を取りやめた。
この直後、開封まで占領した際に和平が困難になること(と、前線の将官の権力が強くなりすぎること)を恐れた宰相・秦檜の画策で、南宋・高宗皇帝は全軍に前進を止めるように命じ、岳飛、帝命もだしがたく、開封の町を目の前にして、
十年之力、廃于一旦。
十年の力、一旦に廃す。
十年間の努力が、たった一日でおじゃんじゃ!
と叫んで軍を収めたのでありました。ばん、ばん。
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明・馮夢龍編「智嚢」明智部知微巻五より。「知恵のふくろ」(智嚢)のうち、「するどい知恵(明智)で微かなことから予想した(知微)」の話を集めた巻です。「微かなことから予想した」主役は、馬を叩いた書生、という設定のようです。緊迫した場面、(書生以外は)登場人物がみんな大河ドラマ主役級で、しかも短編なので、読んでる人はおもしろいのですが、実際には、この朱仙鎮の戦いでは、岳飛・韓世忠の軍と完顔兀述の軍は接敵しておらず、互いに真夏の開戦を避けて対峙中に、どちらも和平派が政権を掌握して和平に至ったものですから、↑のような状況にはなっていないはず。