由是顕名(これによりて名を顕らかにす)(「後漢書」)
有名になるのは大変です。

悪い事やって有名になるのは簡単だがおー。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
後漢の楊政、字・子行は京兆のひと、少年のころから学を好み、代郡の范升から易の一学派である「梁丘易」を受け、師に替ってたいへんよい講義を行ったので、都・洛陽では、
為之語曰、説経堅堅楊子行。
これがために語りて曰く、「説経、堅堅たり、楊子行」。
このためにみんな言い合った、「経典を説明するに、かちんこちんの楊子行」と謳われた。
多いころには、数百人に教授していたのだという。
ある時、師匠の范升が離縁した前の女房から訴えられて、獄につながれてしまったことがあった。
政乃肉袒、以箭貫耳、抱升子潜伏道傍、候車駕、而持章、叩頭大言、曰、范升三娶、唯有一子、今適三歳、孤之可哀。
政すなわち肉袒、箭を以て耳を貫き、升の子を抱きて道傍に潜伏して、車駕を候い、章を持して叩頭し大言して曰く、「范升三娶、唯一子有るのみ、今たまたま三歳、これを孤とするは哀れむべし」と。
楊政は片肌を脱いで、矢で耳たぶに穴を開けるという自傷行為をして(何か呪術的な意味があるのでしょう)、范升の子どもを抱いて道端に平伏し、皇帝の馬車列が現れるのを待ち、身分を示すしるしを見せ、(飛び出して)頭を地面にがんがん打ちつけながら、すごい大声で言った、
范升さまは三回ヨメをもらったが、育ったこどもはこの子だけ。
今でこの子はやっと三歳、(親を死刑にして)この子をみなしごにするのは哀れです。
と。
武騎虎賁懼驚乗輿、挙弓射之、猶不肯去。旄頭又以戟叉政、傷胸、政猶不退。
武騎虎賁、乗輿を驚かさんことを懼れ、弓を挙げてこれを射んとするもなお去るを肯ぜず。旄頭(ぼうとう)また戟を以て政に叉して胸を傷つくるも、政なお退かず。
皇帝の護衛の騎馬武者は反対派が皇帝の乗る馬車をびっくりさせてしまうといけないと考え、弓矢をわざわざつがえて、射るようすを示したが、それでも逃げようとしない。軍旗係の兵士もほこを使って楊政の胸のところを押したので、それが胸を傷つけてしまったが、それでも楊政はまだ退こうとはしなかった。
哀求辞請、有感帝心、詔曰、乞楊生師。即尺一出升。政由是顕名。
哀求して辞請し、帝心を感じせしむる有りて、詔して曰く「楊生の師を乞わん」と。すなわち尺一にして升を出だす。政これによりて名を顕かにす。
哀願して請求し、言葉を連ねたところ、皇帝のこころを感動させることになって、皇帝から「楊なんとかの先生を召せ」という詔を出してもらって、絹一尺で保釈された。楊政はこの事件によって有名になったのである。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
「後漢書」巻七十九上・楊政伝より。無事でよかったですね。有名になるのは、弓で射られたり鎗で突っつかれたり、命がけだ。居眠りばかりしているやつとは違うようです。
先週からカスタマイザーおかしくなって固定ページしか使えなくなったが、今日からさらに壊れて字のサイズの指定なども不可に。〇〇の悪口とか言ってたからかなあ。困ったことです。