1月23日 新幹線が止まる世の中である

以為有道(以て道有りと為す)(「柳河東集」)

と言って鎌倉幕府に戦争しかけたんですが敗北してしまいました。いつの世にも道はあったんだろうと思いますが、往往にして踏み間違ってしまうので大変です。

「おどろ」の下にはおれたちもいるかもだぜ。こわいぞ。

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湖南・永州に黄渓という谷があるんだそうです。唐の時代、ここに配流されていた柳宗元が、チャイナには山水の美しくて名のある土地が数百あるが、その最善のものがこの黄渓である、と言っております。

その黄渓は州の役所から七十里(≒30キロ)ぐらい離れているのだそうですが、そこに着いて、

由東屯而行六十歩、至黄神祠。祠之上、両山牆立、丹碧之。

「黄神というどういう神さまなんですか」

気になりますか。このあと、柳宗元の素晴らしい風景描写があります。ああみなさんに紹介してあげたいなあ。だが、どうしても先に「黄神」のことが知りたいのであれば、風景のところは中略して、そのことについて語りましょう。

・・・第二の淵を経て500メートルぐらい行って大冥川という川に出ると、ようやく渓流がゆったりとしはじめる。どうやらここには水田もあるらしい。

始黄神為人時、居其地。

なんと、人間だったのです。

伝者曰、黄神王姓、莽之世也。莽既死、神更号黄氏、逃来択其深峭者潜焉。

始莽嘗曰、余黄虞之後也。故号其女曰黄皇室主。黄与王声相邇、而又有本。其所以伝言者益験。

うーん。どうでしょうか。

神祇居是、民咸安焉、以為有道。死乃俎豆之、為立祠。後稍徙近乎民。

みなさん、知らなかったでしょう。

既帰為記。以啓後之好游者。

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唐・柳宗玄「游黄渓記(黄渓に游ぶの記)」(「柳河東集」所収)より。配流八年の柳宗元が、自分よりずっと前にこの地に来た(という伝説の)王莽の世継ぎの方の伝説を聞いて、自分もこの人のように人民の役に立って、この地で神さまとして敬われよう、と心に決めたときの歌なんだそうです。みなさんもどうせなら神さまを目指そう。

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