江湖多賤貧(江湖には賤貧多し)(「陶淵明集」)
なんだか暖かくなってきた気がします。もう春かも。

このまま冬を終わらせるわけにはいかないルマー。おれたちは四角く収まることはないマー。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・
飄飄西来風、悠悠東去雲。
飄飄たり西来の風、悠悠たり東に去るの雲。
「飄」(ひょう)は「舞い上がる風」です。「飄飄」を「ふわふわ」と訳しておきます。
ふわふわと風は西から吹いてきて、
のろのろと雲は東に去っていく。
山川千里外、言笑難為因。
山川の千里の外、言笑も因を為し難からん。
山や川を隔てて千里の向こう側では、
話したり笑ったりするよすがはもうあり得ないだろう。
春に、ひとと別れる詩です。
良才不隠世、江湖多賤貧。
良才は世に隠れざるも、江湖には賤貧多し。
才能のあるいいやつはいつまでも隠れているわけにはいくまいが、
(都市ではなく)川や湖の地域には、身分の低い貧乏人がたくさんいる。
「良才」は去っていく友人を、「賤貧」はここに残される自分を言います。スポンサーを降りられてしまうのかも知れません。
脱有経過便、念来存故人。
脱(も)し経過の便有らば、念(おも)い来たりて故人を存(そん)せよ。
この「脱」は「もし、仮に」という仮定を示す用法。「存」は「存問」(そんもん)と使う時の「存」で、訪ねる、安否を伺う、の意。
もしもこちらに来るような機会があれば、
忘れずに古い友を訪ねてくだされや。
まあでもそのうち、忘れてしまうのではないでしょうか。
・・・・・・・・・・・・・・・
六朝宋・陶淵明「与殷晋安別」(殷晋安と別る)(「陶淵明集」より)。どうせ別れがあるものならば、春の別れはのどのどとしていい別れではありませんか。だが、まだ春は来ないらしく、また寒くなるそうなんです。みなさん春になったと思って裸で寝たりしてはいけません。国は衰うるといえども良才は世に隠れず――必ずまたいい時もありますよ。