其猶張弓与(それなお弓を張るがごときか)(「老子」)
弦がぶちっと切れると撥ねて痛いですよ。

こんな難しい比喩を持ち出してくることが、すでに老害化していると言えるでピキ。
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わしも言いたくはないのじゃが、言ってやらねばならんと思って言いましたのじゃ。
天之道其猶張弓与。
天の道は、それなお弓を張るがごときか。
―――おてんとさまのやり方は、そうじゃなあ、弓に弦を張るときと同じじゃなあ。
高者抑之、下者挙之。有余者損之、不足者補之。
高きものはこれを抑え、下がれるものはこれを挙ぐ。余り有るものはこれを損し、足らざるものはこれを補う。
―――(弓の)上の方をぎゅぎゅっと引っ張って引き下げ、下の方をぎゅぎゅっと引っ張ってあげる。(その間に弦を張るわけじゃ。)つまり、余っているものは減らし、足らない方に足す。
天之道損有余而補不足。人之道則不然。損不足以奉有余。
天の道は余り有るを損ないて足らざるを補うなり。人の道はすなわち然らず。足らざるを損ないて以て余り有るに奉ずるなり。
―――おてんとさまのやり方は、このように、余っているものは減らし、足らない方に足すんじゃよ。だが、人間のやり方は違うなあ。足らない方を減らして、余っている方にさらに差し上げるのじゃからなあ。
孰能有余以奉天下。唯有道者。是以聖人、為而不恃、功成而不処、其不欲見賢。
孰(たれ)かよく余り有りて以て天下に奉ぜん。ただ有道者のみなり。これを以て聖人は、為して恃まず、功成りて処らず、それ賢とせらるるを欲せず。
―――ああ、どこかに余っているものを天下のひとびとに差し出すひとはいないのか。いるとすれば、やり方を知っている人(「有道者」)だけだろう。これだから、聖なるひと(=「有道者」)は仕事をしてもそれを支えにせず、功績があればそこには長居しないのじゃ。賢者だと思われたらまずいから。
うーん、我ながらいいこと言ってるなあ・・・と思ったのですが、現役のみなさんは、
「はいはい、電気代もったいないから残業せずに早く帰ってね」
「いつまで「老子」ですか。もう時代は変わっているんですよ」
「既得権益を手放してから言ってください」
などなどの御意見じゃ。
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「老子」第七十七章。毎日こんな感じですから、教えてやるのもイヤになってまいりました。だが、彼らの言っていることに一理あるのも確かです。リスキリングしてきたほうがいいかも。