1月21日 寒いけどガマンする

行霧作賊(霧を行いて賊を作す)(「後漢書」)

昨日が大寒。これから暖かくなってくるはずだが、まだまだ「五里霧中」だ。あれ? 四字熟語の使い方、間違ってる?

寒くても儲けているやつはいるのだろう。

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後漢のころ、張楷、字・公超という人がいて、「春秋」や「尚書」の学に詳しいとして、

門徒常百人、賓客慕之、偕造門焉。                                  

当時、「春秋」や「尚書」の学問は未来を予測することができると考えられていたので、それに詳しい張楷先生は、現代でいえば経済学の、テレビなんかに出て来る花形の評論家の扱いだったのです。「自己責任でしょう」とか「八十歳まで働け」とか言っている先生レベルの大人気だ。

ただし、張楷はそこまではおろかではなかった、というかなんというか、

「この状況は危険じゃ」

と、

疾其如此、輒徙避之。

夜逃げ同様で都・洛陽から離れてしまった。

そうなると、

家貧無以為業、常乗驢車至県売薬、足給食者、輒還郷里。

かくしているうちに、

隠居弘農山中、所居成市、後華陰山南遂有公超市。

いろんな地方の有力者や各省庁(五府)から招かれたが、仕官の招きはすべて断っていた。〇〇大臣になったりするほどにはおろかではなかったんでしょう、とかなんとか。

ところで、このひと、こんなに権力との関係を避けていたのですが、

性好道術、能作五里霧。時関西人裴優亦能為三里霧。

裴優は、

自以不如楷、従学之。楷避不肯見。

その性格の危険なのを見抜いていたのである。

その後、桓帝の時代に、

優遂行霧作賊。事覚被考、引楷言従学術、楷坐繋廷尉詔獄、積二年、作尚書注。

後以事無験、見原還家。

さて、

建和三年、下詔安車備礼聘之、辞以篤疾不行。年七十、終於家。

よかったです。

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「後漢書」巻三十六より。わたくしも、門前市をなすほどの弟子が来るといけないと思いましたので、東京を避けて昨日は夏日のところにいました。今日は東京に戻ってきて寒いけどそれほどでもないな。弟子も来てないようです。これならなんとか暖房無しでも無事生きていけるかも。大寒も過ぎて、これからだんだん暖かくなってくるはずですから、なんとかこの冬も乗り越えられそうです。よかったよかった。

ちなみに、「五里霧中」は、この張楷の故事からできたコトバです。張楷はその術使ってないんで、誰も五里霧中にはなってないはずですが。

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