以告来者(以て来者に告げん)(「墨余録」)
おれも〇〇をやっつけて、未来に名を遺そう・・・かな、という人も出て来るかも。

あの世には税金もないドク。ああシアワセでドク。地震も津波もないとなおいいな。
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明の萬暦のころのことですが、みなさんは浙江の葛将軍のことをご存じですか。
葛将軍はもとの名を葛誠といい、荷物を運ぶ担ぎ屋をしていた市井の勇み肌であった。
このころの明王朝の統治は乱れ、
税璫四出省会之地。無不駅騒、而呉門尤甚。
税璫、省会の地に四出す。駅として騒がざる無く、呉門もっとも甚だし。
「税璫」の「璫」(とう)は玉の耳飾りの意ですが、この一字で「宦官」を意味します。当時は、明王朝の政府の正規の徴税ではなく、皇帝が直接管理する皇室費の徴収と称して宦官が遣わされ、目をつけたものをかたっぱしから「徴税」していくので、彼らを「税璫」と呼びました。この皇室費の強制徴発だけでもたいへんなのですが、さらに税璫たちは徴税の実行に政府の正規の機関を使えないので、各地でならず者たちを雇って実行部隊にしたため、彼らが本来必要な額の何倍も「徴税」して、税璫に上納する分以外は自分たちで横領してしまうという事態になり、各地で莫大な被害が出ていました。羽柴秀吉でなくても「てめえら人間じゃねえ、叩き斬ってやるでよ」と言いたくもなってくる世相だったのです。
特別税を徴発する宦官たちが、各地の都市に派遣されていた。その来訪で、宿場町で騒動にならないところなど無かったが、浙江は最も激しかった。
群小附和者、輒称税官、冠帯咆哮、市中蔬果之属、一出一入、亦無能免、郡県不能制。
群小の附和する者、すなわち税官と称し、冠帯して咆哮し、市中の蔬果の属の一出一入も免かる能う無く、郡県も制する能わず。
(宦官の)取り巻きのどうしようもないやつらが、「徴税官」と自称し、冠をつけ帯を締めて(役人のように正装し)怒鳴りまくって、市場に野菜や果物が並べられ、またしまわれるのも見逃すことなく(しょば代として徴税されるのを)免れることができなかった。そして、正規の官庁である郡や県庁も、その行動を止めることはできなかったのである。
ほんと、日本人でよかったですね。
県庁も手出しできないというのに、一介の労働者・葛は宦官たちのこの行動にガマンがならず、
一号衆集、晨擁入局、縛税璫、沈諸城濠。
一号するに衆集まり、晨に擁して入局し、税璫を縛りてこれを城濠に沈む。
一声叫んで声をかけると、大人数が集まってきた。彼らは夜明けのころに葛を先頭にして役所に押し入り、宿泊していた「徴税宦官」を縛り上げて、引っ張って行って、城壁の外の濠に沈めて殺してしまった。
快き哉。スカッとするではありませんか。
葛は仕遂げると、
旋投獄自訴、凡有引問、但言吾為之、他無所与也。
旋(ただ)ちに、獄に投じて自訴し、凡そ引問有るに、ただ「吾これを為す、他の与かるところ無し」と言う。
即座に県庁の監獄に自首して入った。そして、引っ張り出されて尋問されるたびに、
「あっしがやりました、他のやつらは関係ありやせん」
と言い続けた。
上官憐其義憤、為更其名曰賢、不加箠楚、長繋而已。
上官その義憤を憐れみ、ためにその名を更(か)えて賢と曰い、箠楚を加えず、長繋せるのみ。
えらいお役人(こちらは正規の官庁)も彼の義憤に同情し、そのために彼の名前を葛誠から葛賢に変えて別人のように取り扱い、むちで殴ったりせず、しばらく留置しただけであった。
ほとぼりのさめるのを待ったのである。
久之、竟得釈、人遂呼為葛将軍、壮其事也。
これを久しくして、ついに釈を得、人ついに呼びて「葛将軍」と為し、その事を壮とするなり。
しばらくしてついに釈放された。人々は彼を「葛の大将軍」と呼び、彼のやったことのすごさを賞賛したのであった。
将軍躯不甚偉、鼻微赤、与之言、吶吶如不出口。而士夫雅重、通国咸欲識其面。
将軍、躯は甚だしくは偉ならず、鼻は微赤、これと言うに、吶吶(とつとつ)として口を出でざるが如し。而して士夫雅重し、通国みなその面を識らんと欲す。
葛将軍は(肉体労働者とはいえ)それほどガタイはでかくなく、鼻の先が少し赤くて、彼と話すと、訥々(とつとつ)として言葉がなかなか口から出てこないような口下手であった。しかし、読書人もそうでない人も、国中のひとがみんな、彼と面識を持ちたがった。
とのこと。大人気だったんです。
謹摭及之、以告来者。
謹んで摭(ひろ)いてこれに及び、以て来者に告げん。
粛然たる気持ちで、この話を拾い出して記録しておく。未来の誰かに伝えるために。
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清・毛祥麟「墨余録」巻十より。著者は、16世紀末の萬暦年間から300年ぐらい経って、清末(19世紀末)になってからこれを記録しています。すなわち、彼自身が「来者」(未来の人)なのですが、さらに彼よりあとの「来者」を待つため、これを記録したという。また「税璫」たちが咆哮する時が、いつか来るだろうと予測したのだろうか。