1月21日 ふがふがと今日も夢をみていた

以告来者(以て来者に告げん)(「墨余録」)

おれも〇〇をやっつけて、未来に名を遺そう・・・かな、という人も出て来るかも。

あの世には税金もないドク。ああシアワセでドク。地震も津波もないとなおいいな。

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明の萬暦のころのことですが、みなさんは浙江の葛将軍のことをご存じですか。
葛将軍はもとの名を葛誠といい、荷物を運ぶ担ぎ屋をしていた市井の勇み肌であった。

このころの明王朝の統治は乱れ、

税璫四出省会之地。無不駅騒、而呉門尤甚。

「税璫」の「璫」(とう)は玉の耳飾りの意ですが、この一字で「宦官」を意味します。当時は、明王朝の政府の正規の徴税ではなく、皇帝が直接管理する皇室費の徴収と称して宦官が遣わされ、目をつけたものをかたっぱしから「徴税」していくので、彼らを「税璫」と呼びました。この皇室費の強制徴発だけでもたいへんなのですが、さらに税璫たちは徴税の実行に政府の正規の機関を使えないので、各地でならず者たちを雇って実行部隊にしたため、彼らが本来必要な額の何倍も「徴税」して、税璫に上納する分以外は自分たちで横領してしまうという事態になり、各地で莫大な被害が出ていました。羽柴秀吉でなくても「てめえら人間じゃねえ、叩き斬ってやるでよ」と言いたくもなってくる世相だったのです。

群小附和者、輒称税官、冠帯咆哮、市中蔬果之属、一出一入、亦無能免、郡県不能制。

ほんと、日本人でよかったですね。

県庁も手出しできないというのに、一介の労働者・葛は宦官たちのこの行動にガマンがならず、

一号衆集、晨擁入局、縛税璫、沈諸城濠。

快き哉。スカッとするではありませんか。

葛は仕遂げると、

旋投獄自訴、凡有引問、但言吾為之、他無所与也。

上官憐其義憤、為更其名曰賢、不加箠楚、長繋而已。

ほとぼりのさめるのを待ったのである。

久之、竟得釈、人遂呼為葛将軍、壮其事也。

将軍躯不甚偉、鼻微赤、与之言、吶吶如不出口。而士夫雅重、通国咸欲識其面。

とのこと。大人気だったんです。

謹摭及之、以告来者。

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清・毛祥麟「墨余録」巻十より。著者は、16世紀末の萬暦年間から300年ぐらい経って、清末(19世紀末)になってからこれを記録しています。すなわち、彼自身が「来者」(未来の人)なのですが、さらに彼よりあとの「来者」を待つため、これを記録したという。また「税璫」たちが咆哮する時が、いつか来るだろうと予測したのだろうか。

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