書須成誦(書は須らく誦を成すべし)(「張子全書」)
できないことなんで、マジメにやらなくてもいいです。参考にしてもらう程度でいいと思います。

暗記なんかできなくても、テング記憶術で合格じゃ!「テング記憶術入門」は別に買ってください。
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北宋の時代のことです。張横渠先生がこんなことを言い出した。
書須成誦。
書はすべからく誦を成すべし。
書物は全て暗唱できるようにしておかなければならん。
もちろん、役に立つ書物、五経や論語や孟子のことです。エッチなやつをはじめ害を為すやつはいけません。さて、それなら「毛沢東語録」は役に立つ? いやいや、帝王学や厚黒学の本やノウハウ本ではなく、どちらかと言えば「修身書」に近い本なのでみなさん的には役に立たないのでは。
なぜ暗唱できるようにしないといけないかというと、
精思多在夜中、或静坐得之。不記則思不起。
精思は多く夜中に在り、或いは静坐してこれを得。記せざればすなわち思い起こらざらん。
じっくり考えることは、たいてい夜中にしかできない。そうでなければ、静かに座って精神を集中させているときだけだ。暗唱してなければ、考えるよすがも無いではないか。
それは大変だ。
だが、大丈夫です。
但通貫得大原後、書亦易記。
ただ大原に通貫し得て後は、書もまた記し易し。
「根源なる大いなる本質」を理解し尽くすことができた後は、書物なんか無茶苦茶覚えやすくなるぞ。
そうなんですか。ああよかった。
そもそも、
所以観書者、釈己之疑、明己之未達。毎見毎知新益、則学進矣。
書を観る所以のものは、己の疑いを釈し、己のいまだ達せざるを明らむるなり。つねに見るにつねに新益を知れば、すなわち学進まん。
書物を読む理由は、自分の疑いを解き、自分がまだわからないことが何かを明らかにするためなのである。読むごとに新しい知識を得、疑いが解けるなら、どんどん学問が進むぞ。
おもしろくてしようがなくなるぞ。
於不疑処有疑、方是進。
疑わざるところにおいて疑い有らば、まさにこれ進めり。
疑わなかったところに、「あれれ?」と疑いが湧くようになれば、これこそ進んだということである。
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宋・張横渠「張子全書」六より(「近思録」第七十五則)。なかなか「大原に通貫」しないので困っております。みなさんはどれぐらいまで行ってますか。何十年もやっているのに通貫しないとは、もしかして通貫する前に終わりになるのかも。だが、考える前に居眠りしてしまうほどになっているので、実はもう通貫してるのかも知れません。