世世復然(世世また然り)(「柳河東集」)
それより税金を払うとキモチいいなあ。(1990年代に解散したはずの「派閥」を解散するより、)まず税金を払いましょう!

4000万円ぐらいまでは大丈夫でポン。
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唐の元和年間(806~819)のころですが、
鶏鳴村巷白、夜色帰暮田。
鶏鳴き村巷白み、夜色に暮田より帰る。
ニワトリが鳴いて村の集落が白みはじめた時から働いて、
夜の色に染まったころに、夕暮れの田んぼから帰ってくる。
それがおれたちの毎日だ。
札札耒耜声、飛飛来烏鳶。
札札(さつさつ)たり耒耜(らいし)の声、飛び飛びて烏鳶は来たる。
(働けば)ザクザクというスキ・クワの音がして、
(帰りには)カラスやトビが飛んで来る。
竭玆筋力事、持用窮歳年。
この筋力の事を竭くし、持して用って歳年を窮む。
おれの筋肉の力を尽くして野良仕事して、
得たものを用いて一年を終わらせるのだ。
ところが、
尽輸助徭役、聊就空自眠。
尽く輸(おさ)めて徭役を助け、聊か空しき自らの眠りに就く。
当時は租庸調制度です。年貢(租・調)をとられますが、それだけでなく徴発されて肉体労働(庸)もしなければなりません。しかし、徴発されると田畑仕事に手が回らなくなって年貢が納められなくなる。そこで、徴発分についても年貢で建て替えて払うことができます・・・という仕組みになっています。
収穫物はすべて年貢として差し出して、やっとなんとか徴発労働分も払い終えることにできる。
(年末にはなんにも残らないので、)しばらくだけ虚しく眠ってひもじいのを耐えるしかないだろう。
そういう貧困の中で、
子孫日以長、世世還復然。
子孫日びに以て長じ、世世またまた然り。
子や孫は毎日大きくなっていく。
こいつらの時も、何代も何代もおれたちはこうなのだろう。
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唐・柳宗元「田家」一(「柳河東集」)より。柳宗元は改革集団「八司馬」グループ(派閥争いに敗れた側の八人の同志が地方の閑職である「司馬」に左遷されたので、こう呼ばれます)に属して、守旧派や宦官と争ったのです。彼らのグループは、皇帝を抱き込んで、宦官が掌握していた「軍事権」を握りかけた。結局皇帝が譲位させられ、軍事権を取り返されて争いに敗れるのですが、守旧派(主流派)にとっては、同じような改革派でも、人道的理論(例えば韓愈)とか政策提唱(例えば白楽天)だけではなくて、実権を奪われそうなところまで追い詰められた「八司馬」派は不倶戴天なので、長安にはとうとう戻してもらえませんでした。
柳宗元が、最初の配流地・永州時代に農民の苦しみを詩にしたのが「田家」三首です。五十年ぐらい前に杜甫が創めた「社会記録詩」とでもいうべき報道記事のようなスタイルを使っています。この第一首では希望のない農民生活一般を描き、第二首ではとうとう収税吏が来ます。接待をさせ、自分たちが上司との間でどんな苦労しているか放言して、そして根こそぎ持っていく。読むに堪えないので省略。三首目はそれを見ている旅人である自分の嘆き。