1月18日 地中はいつでも暖かいはず

叩之空空(これを叩けば空空)(「酉陽雑俎」)

やっぱりそうだったのだ。頭のからっぽな音がする。

誰も知らないおれたちの国があるんでモグ。

・・・・・・・・・・・・・・・・

唐の開成年間(836~840)の末ごろ、長安の街中で、

永興坊百姓王乙掘井、過常井一丈余無水。

「変だなあ」

と、誰でも思うと思うのですが、それだけではなかった。

忽聴向下有人語及鶏声、甚喧鬧、近如隔壁。井匠懼不敢掘。

というので、

街司申金吾韋処仁将軍。

「それを報告して、おれに何か得することがあるのなあ」

韋、以事渉怪異、不復奏、遽令塞之。

このため、この穴の底がどこにつながっていたのか、永遠に謎となってしまったのである。

残念なことだ。

按ずるに、

新莽求周秦故事、謁者閣上得驪山本。

驪山の始皇帝陵建設は、

李斯領徒七十二万人作陵、鑿之以緯程三十七里、固地中水泉。

李斯は皇帝に報告した。

已深已極、鑿之不入、焼之不焼、叩之空空、如存天状。

と。

抑知厚地之下、別有天地也。

・・・・・・・・・・・・・

唐・段成式「酉陽雑俎」巻十五より。わたしも以前から気づいていたんですが、やはり本当に地底に人間的なものが住む世界があるのです。誰も知らないその世界に行ければ、コルテスやディアスみたいにぼろ儲けできるかも。おっと、みなさんに知られると「山分けだぜ」と言われるとまずいから、自分一人で行こうっと。うっしっし。
(しばらく行方がわからなくなる?)

ホームへ
日録目次へ