慮至深遠(慮り深遠に至る)(「松窗夢語」)
何が間違っているのでしょうか。

おまえさま、やらかしてしまわれましたなあ。
・・・・・・・・・・・・・・・
日本は洲島(たくさんの島々)から成っている。
嘉隆以来、諸洲島嶼各相雄長、山城君号令久不行於諸侯。
嘉隆以来、諸洲島嶼おのおの相雄長し、山城君の号令久しく諸侯に行われず。
我が明帝国の嘉靖(1522~66)・隆慶(1567~1572)のころ、日本の島々はお互いにどちらが強いか争い合い、山城(やましろ)の君主の号令を諸侯が聴かなくなって、久しくなった。
「山城君」は足利将軍か。
そうしたところ、
近伝華人関白平秀吉者入国、尚倭王寡宮主、陰竊其位、号令洲島、併国数十。
近く伝わるに、華人関白・平秀吉なる者入国し、倭王を寡宮の主に尚(たっと)び、陰にその位を竊みて洲島に号令して国数十を併す。
最近の情報では、チャイナ出身の関白・平秀吉なる者がその国に入り、倭王を小さな宮殿の主人に祭り上げて、その間にその地位を盗み取って、島々に号令して数十の国を併合してしまったというのである。
そして、その華僑・平秀吉が、
今已下朝鮮、堕両京、揺八道、走其国王、逃竄於我遼陽辺境。
今すでに朝鮮を下し、両京を堕とし、八道を揺るがせ、その国王を走らせて我が遼陽辺境に逃竄せしむ。
現在、すでに朝鮮を服属させ、京城・平壌の両都を落とし、朝鮮八道を動揺させ、その国王を亡命させて、我がチャイナの遼陽の郊外まで逃げ隠れさせているのだ。
自らは本国にいるままで、
遣統帥名田、浅野、大谷、孫七郎等拠之、平壌以北皆高塁堅壁、以抗王師。此其狼心尚未艾也。
統帥の名田、浅野、大谷、孫七郎等を遣りてこれに拠らせ、平壌以北みな高塁堅壁、以て王師に抗う。これその狼心なおいまだ艾(や)まざるなり。
名田、浅野、大谷、孫七郎といった部隊長たちを派遣して朝鮮に割拠させ、平壌以北の地はすべて高い石塁と堅い城壁で守って、我が明朝の王者の軍(が朝鮮を解放するの)に抵抗している。このことからも、平秀吉の狼のような野心がまだ収まっていないのがわかるであろう。
「浅野」「大谷」はわかりますよね。「孫七郎」も羽柴秀次の通称なのでわかります。だが、「名田」とはなんだ?さっきから十分ぐらい考えていますがわかりません。加藤、小西、宇喜多、島津、黒田・・・うーん。
まあいいや。現在そんなことになっています。
それにしても、我が高皇帝(明朝初代の洪武帝)のことが思い合わされるのである。
我高皇因其屢寇、罷宰相胡惟庸、至絶其使、不使通貢市。因知高皇之神聖、為万世慮至深遠也已。
我が高皇、そのしばしば寇するに因りて、宰相・胡惟庸を罷めしめ、その使いを絶し、貢市を通ぜしめざるに至る。因りて知る、高皇の神聖なる、万世のために慮(おもんぱか)りて深遠に至るのみなるを。
我が高皇・洪武帝は、倭がしばしば攻め込んでくるので、(倭寇と連携していたと思われた)宰相の胡惟庸を罷免し、倭からの使者を追い返し、朝貢貿易をさせなかった。このことから、洪武帝の神聖な知恵は、遠い将来のことまで考えて、深く遠いところまで行き届いたものであったことがわかるのである。
洪武十三年(1380)、帝は、宰相であった胡惟庸をモンゴル、日本と結んで謀反を企んだとして誅殺、さらにその仲間だと称してすごい多数の臣下とその家族をぶっ殺した。殺しても殺しても足りないぐらいぶっ殺しました。これを「胡惟庸の獄」といい、洪武帝四大案(洪武帝の起こした四つの大粛清。胡惟庸の獄ぐらいぶっ殺したのを四つもやっているのだ。やっぱりこの人はすごい)の一つとして後世まで語り伝えられているのでございます。
・・・・・・・・・・・・・・・・・
明・張瀚「松窗夢語」巻三「東倭紀」より。秀吉の「朝鮮征伐」(壬辰倭乱)のちょうど同時代の記録です。我々はその結末も、明朝がどうなってしまったかも知っているのでニヤニヤしながらこの記述を読んでいるわけですが、我々の時代を、少し未来から見るとどう見えるんでしょうね。
「男風呂と女風呂があったんだって」
「30パーセントぐらいの人しか選挙にいけない制限選挙だったんだって」
「やきぼろう?とかいう野蛮な棒振りをしてたんだよ」
「ちょんまげしてハラキリしてカイシャに尽くしたんだよ」
などと言われているのでしょうか。