1月16日 出勤してると未来に笑われるかも

慮至深遠(慮り深遠に至る)(「松窗夢語」)

何が間違っているのでしょうか。

おまえさま、やらかしてしまわれましたなあ。

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日本は洲島(たくさんの島々)から成っている。

嘉隆以来、諸洲島嶼各相雄長、山城君号令久不行於諸侯。

「山城君」は足利将軍か。

そうしたところ、

近伝華人関白平秀吉者入国、尚倭王寡宮主、陰竊其位、号令洲島、併国数十。

そして、その華僑・平秀吉が、

今已下朝鮮、堕両京、揺八道、走其国王、逃竄於我遼陽辺境。

自らは本国にいるままで、

遣統帥名田、浅野、大谷、孫七郎等拠之、平壌以北皆高塁堅壁、以抗王師。此其狼心尚未艾也。

「浅野」「大谷」はわかりますよね。「孫七郎」も羽柴秀次の通称なのでわかります。だが、「名田」とはなんだ?さっきから十分ぐらい考えていますがわかりません。加藤、小西、宇喜多、島津、黒田・・・うーん。

まあいいや。現在そんなことになっています。

それにしても、我が高皇帝(明朝初代の洪武帝)のことが思い合わされるのである。

我高皇因其屢寇、罷宰相胡惟庸、至絶其使、不使通貢市。因知高皇之神聖、為万世慮至深遠也已。

洪武十三年(1380)、帝は、宰相であった胡惟庸をモンゴル、日本と結んで謀反を企んだとして誅殺、さらにその仲間だと称してすごい多数の臣下とその家族をぶっ殺した。殺しても殺しても足りないぐらいぶっ殺しました。これを「胡惟庸の獄」といい、洪武帝四大案(洪武帝の起こした四つの大粛清。胡惟庸の獄ぐらいぶっ殺したのを四つもやっているのだ。やっぱりこの人はすごい)の一つとして後世まで語り伝えられているのでございます。

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明・張瀚「松窗夢語」巻三「東倭紀」より。秀吉の「朝鮮征伐」(壬辰倭乱)のちょうど同時代の記録です。我々はその結末も、明朝がどうなってしまったかも知っているのでニヤニヤしながらこの記述を読んでいるわけですが、我々の時代を、少し未来から見るとどう見えるんでしょうね。

「男風呂と女風呂があったんだって」
「30パーセントぐらいの人しか選挙にいけない制限選挙だったんだって」
「やきぼろう?とかいう野蛮な棒振りをしてたんだよ」
「ちょんまげしてハラキリしてカイシャに尽くしたんだよ」

などと言われているのでしょうか。

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