1月15日 自助・共助でがんばろう

教子法善(子を教うる法、善し)(「鐙窗琑話」)

昔はいろいろ厳しい時代だったようです。共通テストの反省も忘れないようにしよう。

自己責任でいただきでちゅー。

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明の末ごろ、浙江・嘉興の地に朱国望というひとがいた。国庫に寄付をしてその引き換えに役人になれる「孝廉」の資格をもらっていた。

この朱孝廉が、当時湿地帯で少しの雨でも水害にあっていた両落圩(「圩」(う)は「窪地」)という土地に目をつけて、

以賤値市得数十畝、躬自芟柞、招致失業者計口授田資、以衣食数年、靡利弗興。

賤値を以て数十畝を市得し、躬自ら芟柞(さんさく)して、失業者を招致し、口を計りて田資を授け、以て数年衣食せしむるに、利の興らざる靡(な)し。

悉有一圩之田、屋舎鱗比、炊煙相交、遂以財雄於郷。建雨匏庵、書雨築庚桑記。

一圩の田を悉く有し、屋舎鱗比して炊煙相交わり、遂に財を以て郷に雄たり。雨匏庵を建て、「雨築庚桑記」を書せり。

子孫登科甲数人、孝廉之教子法尤善。

子孫の科甲に登るもの数人、孝廉の子を教うるの法、もっとも善し。

悉書舎中墻壁為字、凡甘母抱児出入、即令指示之、識一字即犒以一銭。

書舎中の墻壁悉くに字を為し、およそ甘母の児を抱きて出入りするに、即ちこれに指示して、一字を識らばすなわち一銭を以て犒(ねぎ)らう。

児在懐抱中、日惟有識字為事、比就外傅、則経書諸字識已強半矣。

児、懐抱中に在りて、日にただ識字を事と為す有り、外傅に就く比(ころ)はすなわち経書の諸字、すでに強半を識れり。

この方法で子どもを教えれば・・・と思いましたが、もう共通テストは昨日終わってしまいました。残念です。来年がんばろう。

朱家はずいぶん家門も栄えているだろうと思っていたのですが、最近、魏万源が書を寄せるに、

孝廉鼎革後、彭方伯以才得薦、不就。後死於賊。

孝廉、鼎革の後、彭方伯才を以て薦むるを得るも、就かず。後、賊に死せり。

とのこと。一族全滅でしょう。

可哀也。

哀れむべきなり。

魏万源、詩を附して言う、

我来重展庚桑記、匏葉青辺雨点麤。

我来たりて重ねて「庚桑記」を展ぜんとするに、匏葉青辺、雨点麤(そ)なり。

と。

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清・兪日糸「桐葉偶書」(清・于源「鐙窗琑話」巻三所引)より。財産を獲得して官職も買ってすぐれた子孫がいて、それでも盗賊にヤられてしまうのですから、マジメにやっているだけバカらしくなって、辛亥革命を起こしてしまったんだと思います。税金とって治安が保てないんでは、怒りますよね。災害対策もちゃんとしないと怒りますよ。

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