棄其余魚(その余魚を棄つ)(「淮南子」)
理解できない考え方のひとはいます。しかしあちらから見ればこちらも理解できないのであろう。

おいらは土を食べて生きているン。
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むかし、孔子の弟子の曾参が言った、
撃舟水中、鳥聞之而高翔、魚聞之而蔵淵。
舟を水中に撃てば、鳥これを聞きて高く翔び、魚はこれを聞きて淵に蔵(かく)る。
舟を漕いで川の真ん中あたりまで行きます。
そこで、「よいしょ」と櫂を持ち換えて、
がん、がん、がーん!!!!
と船べりを叩いた。
すると、水鳥たちはこの音を聞いて一斉に空高く飛び上がり、魚たちは一斉に淵深く沈み隠れて行った。
以上、実験でした。やはり、
所趍各異而皆得所勉。
趍(はし)るところおのおの異なるも、みな勉むるところを得。
逃げて行く方向はそれぞれ違いますが、どちらにも、馴れているところがあるのだ。
人間で考えてみますと、
恵子従車百乗以過孟諸、荘子見之棄余魚。
恵子は車百乗を従えて以て孟諸を過(よ)ぎり、荘子これを見て余魚を棄つ。
戦国の宋の国では、宰相の恵施さまは出張の際には車百台のお付きや貨物を引き連れて出かけて行き、孟津の川港を通った。その近くに住む友人の荘周は、それを見て、(必要のない余計なものを保有している姿がイヤになり、)今日残して明日食べようと思っていた魚を
「今日のわしには必要のないものを保有している必要があるだろうか」
と棄ててしまった。
恵施と荘周は、友人だが、目指す方向性はそれぞれ違ったのである。
それにしても荘周は食べ物を残すとはエラい。わたしどもはあるだけ食べてしまうというのに。
ほかにも、
鵜胡飲水数斗而不足。鱔鮪入口若露而死。智伯有三晋欲不贍。林類栄啓期衣如懸蓑而意不慊。
鵜胡は水を飲むこと数斗なるも足らず。鱔鮪は口に入ること露のごときも死す。智伯は三晋を有すれども贍(たら)ざらんと欲す。林類・栄啓期は衣は蓑を懸くるが如きも意慊(うら)まず。
「鵜胡」(ていこ)はペリカンだというのですが、くちばしで水を掬って中の魚を残して水を吐きだしてしまうので、すごく水を飲むという伝説があったのでしょう。
「鱔鮪」(ぜんい)という魚が日本でいう何なのかすぐには比定できませんが、「鰻」「鱔」「鰌」と並べると、「鰻」は背中が黒くて腹が白、「鱔」は黒と黄色のまだら模様、「鰌」は短いもの、とされるようです(「格致鏡原」などから推定)ので、その類のぬるりとした魚で、おそらく何も食べない、食べると死んでしまう、という伝説があったのでしょう。なんとなくミミズに観察に基づく推理かという気もしますが、鱔にも鮪にも「魚へん」がついているので、ミミズではないと思います。とりあえず「へびうなぎ」と訳しておきます。
「智伯」は春秋末の晋の権力者で、ほかの晋国の豪族であった韓氏・魏氏・趙氏の土地も乗っ取ってしまおうとして失敗して滅ぼされてしまった人。
「林類(りんるい)」と「栄啓期(えいけいき)」はいずれも列仙伝に出てくる古代の仙人です。
整理してみますと、
〇ペリカンは数十リットルの水を飲んでも飲み足りない。(←ウソ)
〇へびうなぎは口に入ったものが露ぐらいの量でも死んでしまう(←おそらくウソ)
〇智伯は晋の国のほとんどを領有していたが、それでも満足できずに他人の領土を得ようとした。(←「史記」などの記述に一応根拠あり)
〇林類や栄啓期のような仙人たちは、蓑を引っかけただけのような服しか着てなかったが、満足そうであった。(←仙人なんていない)
ということから、三つ目以外は全部ウソで、根拠にならないのです・・・が、
由此観之、則趣行各異、何以相非也。
これに由りてこれを観れば、すなわち趣行おのおの異なり、何を以て相非せんや。
これらのことから考えてみれば、それぞれ趣こうとする行き先が違うのである。どうしてお互いに謗りあう必要があるだろうか。
という結論になりました。
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漢・劉安「淮南子」斉俗訓より。結論は「みんな違ってみんないい」と金子みすず先生のようになっています。如何にもいろんな風俗や来歴の地域と人民を統一した世界帝国・漢の時代らしく、実に雄大、というか粗放な思想ですが、現代もこれからはジェンダーも異文化もいろんな家庭の形も全部OK!が最終勝利かも。そうすると、服無くても蓑だけでいいみたいです。