夷酋宝蓄(夷酋宝蓄す)(「水東日記」)
「11日」は災害の特異日なんだそうで警戒が必要です。緊張が続きますが、そういう時にはこういう↓どうでもいい話がいいですね。

危険は太鼓をたたいて報せるなどするでクマー。
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今は明の時代、十六世紀の中ごろです。
広東の南海県に行きますと、
神廟中、銅鼓二、黄寇毀其一。
神廟中に銅鼓二、黄寇その一を毀つ。
神さまを祀る廟の中に、銅で作った太鼓が二個ある。ただし、そのうちの一つは唐末の黄巣の乱のときに反乱軍がぶっ壊していった。
そのため、
今存者一、面円不甚厚、辺突起状蟾蜍者六、辺地仍出口外寸許、以次層細如腰束。
今、存するものは一、面円にして甚だしくは厚からず、辺に突起の蟾蜍の状なるもの六、辺地に仍(ない)の口外に出ること寸許(ばか)り、次層細くして腰束の如きを以てす。
現在、完形を保っているのは一つしかない。これを観察すると、
〇表面は円形になっている。表面の銅板はあまり厚くはない。
〇表面の周囲にヒキガエル状の突起が六つある。
〇周囲には、「乳」(にゅう)といわれる突起物が3センチばかり、横に突出している。
〇表面のすぐ下は、周囲が細くなっており(下はまた広がって)腰のところを束ねたようになっている。
そして、
然下腹大与面等、面与四囲皆細波紋。
然して下腹は大なること面と等しく、面と四囲はみな細波紋なり。
〇その下はまた広がって、下面は表面と同じ大きさになっている。
〇表面とその周囲の胴体部分には、すべて細かな波の模様がつけてある。
中心高起寸許、蓋控撃処也。
中心高く起こること寸許り、けだし控撃の処なり。
〇表面の真ん中あたりが3センチぐらい盛り上がっている。つまり、ここが叩いて音を鳴らす部分なのである。
いま図鑑などで見る銅鼓とほとんど同じである。
あるひとが言うに、
二広銅鼓皆馬伏波時作。
二広の銅鼓みな馬伏波の時の作なり。
「廣東・廣西には銅鼓が多いが、すべて一世紀、後漢の時代に広州から越南まで征伐した伏波将軍・馬援の時代に作られたものじゃ」
と。
南海天妃廟旧亦有之。広西蛮夷土官最多。
南海天妃廟にももとまたこれ有り。広西の蛮夷・土官最も多し。
南海県にある航海女神・天妃さまの廟にも、以前はこれ(銅鼓)があった。また廣西の野蛮人ども、服属した少数民族の首長などはたくさん持っている。
一方、
若雲南、貴州、則武侯作。
雲南・貴州のごときはすなわち武侯の作なり。
廣西の西北、山岳地帯の雲南・貴州に遺っているのは、すべて武侯・諸葛孔明が作ったものである。
三世紀、諸葛孔明はこれを蛮人どもに与え、支配の道具としたのである。
今夷酋宝蓄之以集衆云。
今、夷酋これを宝蓄し、以て衆を集むると云えり。
現代(明の時代です)では、蛮族の首長たちがこれを宝もののように保存しており、蛮人たちを集めなければならない時には、この鼓をがんがんと鳴らすのである。
現役の行政財産なのだ。
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明・葉盛「水東日記」巻十六より。勉強になりますね。え、ならない? みなさんが勉強しないでいると、会社の会議で隣のやつが、「廣東・廣西の銅鼓は伏波将軍が作ったはずですぞ」などと言って、えらい人から「なかなか詳しいな」とバッテキされる、かも知れないんですよ。せめて「雲貴のは諸葛孔明ですね」と横やりを入れて、同僚のバッテキだけは阻止せねば・・・などと思わないんですか?