1月10日 このひともノルマに追われていたのかも

相公何之(相公いずくに之く)(「聞見近録」)

元気な間はがんばりたいものです。

伝・荊公騎驢図

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北宋のころ、神宗皇帝とともに新法改革を実施した王安石さまは、引退して南京郊外に隠棲した。

王荊公不耐静座、非臥即行。

王安石は荊州の太守だったので「荊公」といいます。

ナガシマ茂雄さんみたいな人だったのでしょう。

そのころは、鐘山の麓に住んでいましたが、住んでいるところは、南京城と鐘山・定林寺のちょうど真ん中あたりだったので、「半山老人」と名乗っていた。

嘗蓄一驢、毎旦食罷、必一至鐘山、縦山間。倦則叩定林寺而臥、往往日昃乃帰。

有不及終往、亦必跨驢半道而還。

という生活だったらしいのです。(以上、宋・葉夢得「避暑録話」より)

以上は伝聞ですが、実際に会いに行った人もいた。

余嘗謁之、既退、見其乗驢而出。一卒牽之而行。

そこで、声をかけて訊いてみた。

相公何之。

うちの宰相にも訊いてみたいところだが。どこに行こうとしているのか。

王荊公、答えて言う、

若牽卒在前聴牽卒。若牽卒在後、即聴馳矣。

見事な回答ですね。

或相公欲止則止、或坐松石之下、或田野耕鑿之家、或入寺随行。

いつも、

以嚢盛餅十数枚。相公食罷、即遺牽卒。牽卒之余、即飼驢矣。

或田野間人持飯炊献者、亦為食之。

初無定所、或数歩復帰。近于無心者也。

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宋・邵博「聞見近録」より。まんじゅうを遺さないとあとでもめますよ。

今の季節は調査に出かけたりできるのですが、春~秋は野球観戦がたいへんなんです。野球観戦のノルマが無ければシアワセになれるような気がしてしようがないのですが。

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