遇知音必破(知音に遇わば必ず破れん)(「山谷題跋」)
おめでとうございます、と言おうとしたら、能登で大地震。まだ被害の全容がわかりませんが、相当のことが起こっているのだと思います。寒くて苦しいけどみんなでがんばりましょう。

もっとおめでたい絵を考えていましたが、今年は年賀は申し上げません。
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陰陽の不調で笛も裂ける。正月元旦から大地も海も裂けることがあるのです。
北宋のころ、呉無至というひとがいて、宰相・晏殊の家でよく酒を飲んでいた。
二十年時、余屡嘗与之飲。飲間喜言士大夫能否、似酒侠也。
二十年時、余しばしば嘗てこれと飲む。飲間に士大夫の能否を言うを喜び、酒侠のごとし。
二十年ぐらい前、わたしはかつて、何度も彼と酒を飲んだ。飲んでいると当世の士大夫、政治家・官僚・文化人たちの「できるやつ」「できないやつ」について議論するのが楽しくて仕方なく、「酒飲み任侠」というべき人であった。
その人が、
今乃持筆刀行売筆于市。
今、すなわち筆刀を持ちて市に売筆を行う。
今は、筆を削るための小刀を手にして、開封の街の市場で筆を売る商売をしているのである。
作無心散卓、小大皆可人意。
無心の散卓を作り、小大みな人意に可なり。
「無心散卓」だけ語義の説明が要ります。「芯が無く」「ぐねぐねと草書を書いても、筆先がばらけてしまわない軟らかな」筆のことです。
芯の無い軟らかな筆が専門で、大きい筆・小さい筆など、人の注文どおりに作るのであった。
しかしながら、今の流行りは、
著臂就案、倚筆成字。
臂を著(つ)けて案に就(つ)け、筆に倚(よ)りて字を成す。
肘を机に着けたまま筆先を紙の上に置き、筆の力で字を書くことができる。
と言われる宣城の諸葛氏製作の筆であった。
故呉君筆亦少喜之者。
故に呉君の筆、またこれを喜ぶ者少なし。
このため、呉君が作る筆は、これを好んで使う人は少なかったのである。
だが、呉君の筆は、
使学書人試提筆去紙数寸、書当左右如意所欲、肥瘠曲直皆無憾。然則諸葛筆敗矣。
学書の人をして試みに筆を提げて紙を去ること数寸にして、左右に当たりて欲するところに如意に書かしむるに、肥瘠・曲直みな憾み無し。然ればすなわち諸葛筆敗れたり。
書道を学んでいる人に、試しに(呉君筆を手に取らせて)筆先を紙から数センチ上に浮かせ、右左に自由に動かして書かせれば、線の太い・細い、曲げる・真っすぐなど、思い通りにいかないことがない。そういうわけですから、諸葛の筆はダメなのである。
唐の時代、許雲封が言っているように、
笛竹陰陽不備、遇知音必破。若解此処、当知呉葛之能否。
笛竹の陰陽備わらざるは、知音に遇するに必ず破る。もしこの処を解せば、まさに呉葛の能否を知るべし。
「笛を作る時に、材料の竹に陰陽の条件が具わっていないと、音楽通の人に出会ったら必ず破裂してしまう」のだそうだ。その理由が理解できるようなら、呉君と諸葛の筆の優劣はおのずと明らかになるであろう。
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宋・黄山谷「山谷題跋」より「書呉無至筆」(呉無至の筆を書す)。ところで、許雲封が言う「笛竹が知音に遇えば必ず破る」とはどういうことでしょうか。これは、北宋期に編纂された「太平広記」に記載されている次の物語に典拠があります。
・・・試みに一本の笛を吹くように命ぜられた許雲封が、申し上げた。
以今年七月望前生、明年七月望前伐。過期不伐、則其音窒、未期而伐、則其音浮。
今年七月望前に生ずるを以て、明年七月望前に伐す。期を過ぎて伐せざれば、則ち音窒がり、いまだ期ならずして伐すれば、則ち音浮くなり。
その年の七月の満月以前に生えた「竹」を、翌年の七月の満月以前に切って使う。時期を過ぎてから切ったものを使うと音にふさがりが出る。時期を過ぎる前に切ったものだと音が浮いてしまう。
浮者、外澤中乾。乾、受気不全。気不全則其竹夭。
浮くは、外澤にして中乾く。乾くは気を受くること全からざるなり。気全からざれば則ちその竹は夭なり。
「浮く」ということが起こるのは、外側はしっとりしているが、内側が乾燥してしまっているからである。乾燥という事象は自然の「気」を完全に受容していないから起こる。自然の「気」を完全に受容できていない「竹」は、「若死にした竹」である。
其已夭之竹、遇知音必破。
それ已に夭の竹なれば、知音を遇わば必ず破る。
ああ、「若死に竹」を使ったら、音楽通に出会うと必ず破裂してしまうのです。
「さて、この笛は如何でしょうかな」
許雲封は、
捧笛吹六州遍、一畳未尽、騞然中裂。
笛を捧げて「六州遍」を吹くに、一畳いまだ尽きざるに、騞然(かくぜん)として中裂す。
試された笛を手にして「六つの地方に遍く響く」の曲を吹いてみた。すると、一度目の演奏がまだ終わらないうちに、「ばきり」と笛は真ん中から裂けてしまった。
という。「太平広記」巻二百四所収「甘澤謡」より。