令和7年2月調査報告(横濱鶴ヶ峰)

2月9日(日)・・・横濱鶴ヶ峰で畠山重忠関係遺跡等を調査。コロナ前に鎌倉古道を歩くのがおもしろかったころに予定していたんですが、その後、大河なんとかで話題になってしまって「汚れ」たので、来てませんでした。

〇宮沢遺跡 ・・・ 二俣川駅の近くにあり、縄文中期の住居跡遺跡ということですが、今は開発されたそうです。

この公園はごく一部で、新幹線用地(かなり離れてます)まで遺跡範囲であったという。

鶴ヶ峰行く前に海鮮丼1000円食ってくか。フライ丼800円と迷ったが、わしのようないい大人はやはりこちらかと思ったのである。

〇畠山重忠関係遺跡 ・・・ 鶴ヶ峰周辺、今は「帷子川」に統一されていますが、かつては帷子川支流の「二俣川」と呼ばれるかなり深い川が流れておりました。「いざ鎌倉」という報せを受けた畠山重忠さま、武蔵の国から鎌倉を目指して駆けつけてくると、豈図らんや、この二俣川の地で北条軍が「重忠謀反」を唱えて、待ち伏せて攻撃して来やがったのです。「ここは一度退いて態勢を立て直しましょう」という家臣に対して「そんなことをすればわしに邪心があったと後世に疑われてしまう」と言って、数時間にわたって戦った後、討ち死にしました。
関係遺跡が伝説的なものとはいえ、原地形を想像させるように遺っているので、ここの遺跡めぐりはオモシロいです。おそらく最後は川べりの崖地に追い込まれて包囲されたんです。

・鎧の渡し・首洗いの井 ・・・ 鎌倉街道の二俣川渡場。当時は鎧を頭上に捧げて渡ったそうです。そこを襲撃されたということのようです。

今では川から離れています。また、井戸も無くなったよし。

近くの二俣川(今は帷子川)。明治までは大きく湾流し、深い淵を為していたという。

・重忠公首塚 ・・・ 実際には何かが埋まっているわけではないらしい、とのことです。鎧の渡しに近く、ここもかつての二俣川のほとりであったらしい。

平成元年に整備されたそうです。つい最近か・・・と思ったが、もう30何年も前なのだ。

・重忠公最期の場・矢柄の竹 ・・・ ここで矢を受けて戦死。鎧に刺さった矢を二本を抜いて、「わしの心がきれいであればこの矢柄が竹として育つであろう」と地上に挿したところ、やがて鬱蒼たる竹林になったという・・・のですが、昭和40年代の開発で消滅したとのこと。

正面の石碑は平成になって埼玉県深谷市と横浜市が共同で建てた合戦場の碑。左側の繁みが新しく植えられた矢柄の竹だそうです。

・鶴飛山清来寺 ・・・ 重忠公とその家臣を慰めるために作られた観音さまがあるそうです。

浄土真宗本願寺派とのこと。しずかな山中・・・だったと思います。近くまで住宅が押し寄せています。

二俣川河畔にウメが咲いていました。

・清来寺裏遺跡 ・・・ 小学校となっている山の広範囲にわたって縄文中期の住居跡があるとのこと。

小学校の向こう側は清来寺。左へ降りていくと二俣川です。

・矢畑・腰巻 ・・・ 北条軍の矢が飛来して、畑の作物のようにたくさん突き刺さったという。主戦場だったのでしょう。「腰巻」の方の由来は不明。

二俣川河畔です。この道の突き当りはもう川べり。

・六つ塚(薬王寺)・・・ 重忠公と家臣たちを埋めた六つの塚が境内にあります。

こんな積み石塚みたいなのが境内に六つあります。とりあえず全部確認できましたが、「霊場」とあるように、夜はコワいと思われる。このへんの顕彰は戦後昭和40年前後に栗原(元?)大佐というひとがしたようです。

・重忠公硯洗いの井跡 ・・・ 硯を洗ったんだそうです。

住宅が建てこむまでは、泉があったよし。

・駕籠塚 ・・・ 重忠公の奥方菊のお方が自殺したので、駕籠ごと埋めたんだそうです。このあたり鶴峰神社があり、水源地になっていて、要するに鶴ヶ峰の集落の後背高地、すなわち「腰当て」の山だったのでしょう。

奥に祠があって、その裏には六塚と同じような積み石塚ふうの塚があります。

鶴ヶ峰神社です。

神社裏から富士山見える。やはりここまで来るとでかく見えますね。

重忠さま討ち死に場所から鶴ヶ峰神社方面に昇る鎌倉古道。この上の方から重忠軍が来て、降りてきたところを待ち伏せされたのであろう。原地形が想像できます。

勉強になった。

ついでに、2月9日(土)に戸田で退治したネコどもだ。最近、ネコだけで報告したところ、「調査報告やないやろ!」と指摘を受けたので、ここにそっと入れておきますニャー。

白ミケ。「おまえのメシはぬくもりが無いんにゃ!」と怒っています。しりたたきはお気に入りで、寒いからか寄り添ってきます。

奥ミケ(回虫入りネコ)。エサは見向きもされずしりたたきのみ。しりたたきによりごろごろネコになったあわれな姿だ。

これは「ハチ」といわれているネコです。エサは欲しがるんですが、近づくと逃げるので、エサを置いて少し離れると、その間にカラスが飛んできてエサを取っていってしまうので、呆然としている姿がおかしかった。他のひとには近づくのでそちらからメシをもらっていました。

駐車場付近で帰ろうとしたら、↓こいつらにつかまる。

時々みかけるマヌルもどきネコ。オッドアイ(左右の眼の色が違う)ですね。

こいつも時々みかけるヒゲの生えたような顔の執事ネコ(白黒のタキシードみたいなやつのことです)。かなり食い物にいやしい上に弱いみたいですぐ逃げます。

こいつが駐車場周辺でいちばん強いと思われるトラネコ。なかなか食い足りないようだ。だが、伊達一族並みに冷酷な肝冷庵によって見放される。

もう年末にいた子猫はいませんね。こいつらもいつまで会えるかな。こちらが先かも知れませんがのう。ほうほう。

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