2月16日(日)間もなくオープン戦が始まるとあちらのノルマも厳しくなってくるので、休む暇がありません。今日は、神奈川県海老名市の秋葉山古墳群から、座間市の二つの神社にかけて調査してみました。
〇護王姫の碑・護王姫神社 ・・・ 義経伝説とセットになっているのですが、むかしむかし護王姫というひとがここでお産をしたという。そのために近くの川が「産川」と名付けられたのだという。

碑です。馬頭観音などもいます。
〇秋葉山古墳群 ・・・ 相模川沿いの平野部に海老名耕地といわれる水田適地の平野があります。非常に古い時代から開かれており、有鹿、寒川、石楯尾などの式内社もあります。この地域(古相模国)の古墳時代初期の首長墓とされるのが秋葉山古墳群で、最古とされる三号墳(前方後円墳、ただし現在はほぼ円墳に見える)が、驚く勿れ、三世紀後半の出現期古墳です。大和に作られた最初の前方後円墳(箸墓古墳)が三世紀中ごろですから、ほぼ同時代にここにそういう技術者がいたんですなあ。
その後、百年程度の間に、4号墳(前方後方墳)、2号墳(前方後円墳)、5号墳(方墳)、1号墳(前方後円墳。4世紀半ば)が、相模川から見上げられる海老名丘陵南端といわれるこの尾根筋に作られたのである。

順番は1号墳からになります。

まず1号墳。4世紀半ば過ぎ。すべて上に登れます。

2号墳。4世紀前半。

2号墳の上に立っている「憲政の碑」。昭和8年。

3号墳。右手の方の前方部が壊れています。3世紀半ば。

5号墳。小規模な方墳。1号墳と同じころか。

4号墳。前方部から後方部を望む。これも3世紀後半というおそるべき古さだ。
整備もよく出きていて、散策路になっていて、なぜこれまで来なかったのか、というぐらいいい古墳群です。
〇野際塚 ・・・ 座間駅方面に続く尾根道を行くと、道の横に円墳らしきものとお墓が・・・ここは写真はちょっとやめときます。興味あるひとは行ってみ・・・いや、夕方や夜は行かない方がいいのでは。

これは道から撮っているのでコワくないんですよ。
〇梨の木坂横穴墓 ・・・ 古墳時代のあとに横穴墓が作られました。現在では米軍基地などで寸断されていますが、もともとは座間丘陵のあちこちに横穴墓があったようです。

網の向こうの崖にあるようです。私有地なんで入るなと書いてありました。
〇座間山心岩寺 ・・・ 立派な寺です。

心岩寺水源。左手の方に白黒ネコが逃げ込んだ・・・が、追いかけるのは止めておきます。
〇鈴鹿神社周辺 ・・・ 藤沢街道沿いの「舟形の森」といわれる南北に細長い水源地帯です。縄文時代以来の遺跡が出てます。
・鈴鹿神社 ・・・ 伊勢国鈴鹿神社の神輿が流れて来て、そのままスサノヲの命が祀られたそうです。室町期から記録があるそうですが、周辺に座間丘陵下から出るいくつかの水源があり、その周囲に縄文住居があったそうです。以前探検した勝坂遺跡も近いので、このへんは縄文中期の交通路だったのでしょう。本殿の下も縄文遺跡だそうです。

三重県から流れてきたとは。

この神殿の下に縄文住居跡があるとのこと。
・鈴鹿の泉

路地を入っていったところにあります。
・龍源寺弁天の泉 ・・・ 子どもたちにも伝えてくれとおばあさんが言ってました。

寛永時代に白蛇が出たという。
・閻魔堂 ・・・ 藤沢街道です。

この閻魔堂の中に・・・

このかっこいい閻魔十王がお見えになる。一見の価値あり。格子の間から無料で拝めます。
・番神の泉 ・・・ 日蓮さまが、刀工の求めに応じて祈ったところ、出た泉とのこと。番神(法華経に出て来る三十番神のこと)の祠の裏にあります。ここも近くに縄文住居跡があり、泉もそのころから湧いていたものと思われます。

この割れ目から今も泉が湧いている。
・日蓮像

道端に立って見下ろしておられます。
〇座間神社 ・・・ 景行天皇のころに水源神社として開かれたそうです。
末社に伊奴寝子社(いぬねこしゃ)あり。もとは蚕神ということです。

崖地に建ってます。

ペットと一緒にお参りください、と書いてありましたが、ペットいないんです。
陸軍士官学校関係の遺跡などにも行きたかったのですが、腹八分目にして帰ります。
なお、2月15日(土)に戸田ネコ調査が行われた。

にゃんだ?

にゃにゃんだ?

おれでしたんにゃー。目が悪いから天気よくなってもエサ探しにいけにゃいんよ。
今日はこいつしか発見できません。季節が変わってしまったようなので、カラスも減ったようですが、情報をもらおうにもえさやりさんたちが来ません。おれとこいつ(白ミケ)だけが置いていかれたのかも。