ナゴヤ周辺の大仏さまを調査する。
〇布袋大仏 ・・・ 名鉄犬山線沿いにあるサングラス大仏とも呼ばれる大仏さまだ。

昭和24年、同所の整骨師が御嶽薬師教を感得し、私財をなげうって手作りで作ったコンクリート像。像高は12メートルで、奈良の大仏よりも高い。お顔の不思議な優しを見よ。
〇名古屋大仏 ・・・ 名古屋市内、本山駅の近くにあります。したがって、この大仏さまは平成になって作られた後二つの名古屋市内の大仏とともに「名古屋三大仏」と呼ばれる、と市の文化財なんとかに書いてありましたが、まあそいつらはまた今度だ。

昭和62年のコンクリート像。いかにもバブル期の名作と称せられるにふさわしいであろう。黄金色のおくちびるとか、象やインドっぽい僧侶の像が周囲に並べられているところなど、当時世界に冠たる富裕を誇った我が国の文化のほどが推し量られる。(皮肉ではありません)
まわりに地域ネコも3匹まで確認できました。

ちなみにこの大仏のあるお寺は知るひとぞ知る名刹・桃巌寺。「桃巌居士」は織田信長のおやじの位牌の灰をぶん投げられた(ことになっている)信秀公の戒名である。この寺は信長の弟・信行が付け家老の柴田勝家に命じて建立したもの。当時は本山のあたりは修行僧の集う山中だったのである。
〇東海市の聚楽園(しゅうらくえん)大仏 ・・・ 新日鉄をはじめ戦前から工業地帯となりつつあった東海市の行楽地・如来山に建てられた大仏さま。大正末に山田翁によって発願され、昭和二年に完成した美術的にも技術的にもすばらしい、日本最初のコンクリート像だ。

高台にあって、息をのむ大きさと美しさである。チュウゴクか台湾の男女の若者が見に来ていて、像の前に座って道教風のお参りをしていました。いい人だと思います。

大仏さまのところまで昇る階段の途中におられる仁王像。もちろんもう一体もおられます。このコンクリートの白眼を見よ。君らは睨まれても通り過ぎる自信はあるのか。

ちなみにこの如来山は、東海市の一つ東の尾根筋にある平島村出身の大儒・細井平洲(←平島村です)が若いころに学んだ地として有名です。本人も「如来山人」と名乗っています。細井平洲の旅立ちの銅像です・・・が、そんな時期の絵が遺っているわけではなく想像上のものと思われます。東海市のゆるキャラ「へいしゅうくん」も少年の姿です。年をとってから価値の現れた人でも、そうしないといけないんでしょう、すべて文化なるものは観光に仕える侍女にすぎない、とされる我が国では。

少年時代の平洲くんが学んだという観音寺。知多八十八番の一つのようです。空襲を受けているとのこと。

平洲くんはお寺の松の木に登って、伊勢湾とその向こうの紀伊半島を眺めていたそうです。いまはかっこいい工場があります。
以上、充実した調査となった。昭和戦前、戦後、バブル期の大仏を比較することができたのである。
中でも、みなさんには、戦後、まだ連合軍の占領下に、手作りで作られた布袋大仏にこそ何かを感じるのではないだろうか。
