令和6年3月調査報告(大利根堰周辺)

3月2日(土)・・・来週から観タマノルマが厳しくのしかかることから、今週はこれまで行けてなかった藤原秀郷さま関連遺跡へ。そのついでにそこらへん回ってきます。

〇須加城 ・・・ 埼玉県羽生市から大利根堰を越える直前にある城跡ですが、このあたりだろうということで城跡碑が建っているだけで、特段の遺跡はありません。吾妻鏡にも出る城で、1550年ごろにもあったんだそうです。戦国期は付近の小学校が高台にあるのでそちらかも。

〇舞木城 ・・・ 将門さま征伐で名高い藤原秀郷公の生地、という伝説になっております。館跡とも言い難い公園に石碑が立っていた。

藤原秀郷公誕生之地、の題字は荒木貞夫陸軍大将。碑自体は昭和40年の建立のようです。

〇米山薬師古墳 ・・・ 円墳だそうです。安楽寺境内にあり。

17世紀には発掘されたいたようです。七福神のうち六福神が階段の左右に立っています。布袋さんだけ、背後に立っている。

〇光恩寺 ・・・ 赤岩城址です。いろいろ見るべきもののある名刹。

塀際に土塁があるのが赤岩城の遺跡かも知れません。

境内に、利根川の川向うにあった荻野吟子生家の長屋門を移築したそうです。「合格の門」と書いてありますが、厳しく閉ざされています。右側矢印下に、花に隠れてしまったが吟子先生の像があります。

境内の阿弥陀三尊堂。三尊像は鎌倉期の名品らしいんですが、室町時代に焼かれた時に、自ら避難したので有名らしいです。矢印の下、前方後円墳・堂山古墳の前方部が見えます。

堂山古墳後円部(上の写真ではお堂に隠れている)にある梵鐘。元禄時代の優品として国の重要美術品、というものに指定されている熊谷市指定文化財。鐘に鋳込まれている文字は、ようく見るとすべて梵字(サンスクリット)です。

これは前方部にある赤岩なんとかさんのお墓。館林の初代城主だそうですが、先祖以来のこの光恩寺にお墓を作って、という遺言でここに建てられたということです。

これも鎌倉期に作られたという地蔵菩薩画像板碑。近くにいくと地蔵菩薩が線刻されているのがわかりますが、写真では見づらいと思います。ちょうど神々しい陽射しが入ってきました。

〇熊谷市荻野吟子記念館 ・・・ 吟子女史の生誕地にあります。

記念館横の胸像と記念碑。生地の熊谷より、晩年活動した北海道の方が先に顕彰した。吟子女史は顕彰されてしかるべき人だと思います。しかし、性病伝染した最初のだんなや受験を妨げたことになっている内務省衛生局長・長与専斎など、みんなそこそこ立派な人なので、地主のムスメで若いころから才色兼備とされていた(むむ?)の吟子さんはやはり恵まれてたんだと思います。最初のだんなが離婚後も吟子さんの経済的な面倒を見ていたとか、素封家として県会議員、殖産興業していたことはここにきてはじめて知った。みなさんは知ってたんでしょうけど。

上の石碑の裏はすぐに利根川堤防になっています。堤防にてやっと昼飯食う。記念館でもらったパンフ。いろいろ詳しいです。医療史研究者だと名乗ってきてしまいました。

堤防にはもう菜の花が咲いていた。利根川の向こうに赤城が見えます。我が心もこのように明朗でありたいものですね。可能なら。

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