令和6年2月調査報告(谷中墓地等)

2月3日(土)・・・節分だ。鶯谷に行ってみます。

〇寛永寺 ・・・ 根本中堂は上野戦争で焼けてしまったので、明治になって河越から移築したものなんだそうです。

根本中堂です。

境内にあった上野戦争碑。明治40年代に建てたもののようです。

尾形乾山墓。

慈海僧正の墓。

なんだったか忘れましたが、四角くてどっしりしていて目を惹いた。

〇谷中墓地 ・・・ 生前の名前をグーグルで調べて「へー、そんな人か」と思う、のですが、すぐ忘れてしまう。青山もここもちゃんと確認して歩いてみたいものですが・・・。

渋沢栄一さん。奥さんお二人もお墓になっています。確かに奥さんは二人だけ。

徳川慶喜さん。他の将軍とは別になっています。質素ですね。

稀代のテロリスト来島恒喜さん。題字は頭山満。

ほかにもモーターの父のひとなど何人かのお墓を見つけたが、お名前や事績を失念してしまいました。

〇書道博物館 ・・・ 中村不折の屋敷を改造したものだそうです。呉昌碩展開催中。

呉昌碩は太平天国の乱で郷里を追われ、放浪の後帰郷すると、村民2000人のうち生き残っていたのは25人、大家族だった呉家も彼が出会えたのは老いた父親一人だけだったという。

中庭から常設展示の会場建物を見る。真ん中へんに不折の胸像があります。

常設展はネコが入ってこないように扉を閉めることが求められている。

子規庵。書道博物館の向かいにあります。

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