令和6年2月調査報告(幕張)

2月11日(日) ・・・ 体調を慮って電車で出かけます。

〇幕張本郷大須賀山 ・・・ 千葉県内屈指の心霊スポットだというのでワクワクしますが、行ったひとのブログでは「霊障無し」だそうですので安心です。幕張一丁目のバス停横からの入り口のすぐ右脇にあるのは、江戸期の地元力士・荒馬紋蔵の墓。左手に大日堂があったので「堂の山」というらしいのですが、今ではありません。

年寄・宮城野馬五郎を名乗る、とのこと。

こんな看板があります。

〇馬加なんとかさんの首塚 ・・・ 堂の山のお墓を通って裏山に登るとあります。中世の人だそうです。もともと千葉氏の支族で、千葉本家を滅ぼした人なんですが、自分もやられてしまった・・・のでしょうか。何代かあとで滅んだ、ともいうようです。彼の首塚として江戸時代に入って寛永年間に、方墳の上に建てられた五輪塔。建てられたのが二月十一日と書いてありましたので、御縁があって来たのでしょう・・・か。

「霊障無し」とされるように、なんだかさわやかな場所です。日の光も射しています。行ってみても大丈夫ですよ。

寛永十六年ですかね。確かに二月十一日とあります。

〇子守神社 ・・・ 来歴等書いてないのでわからないのですが、幕張総鎮守とのこと。房総往還の側にあります。かつてはこのあたりが海岸線だったらしい。

わたしが立っているあたりが房総往還。かなり奥に拝殿が見えます。

〇大久保城跡 ・・・ 現在、花見川の西側に一部分だけ残っているのですが、かつては花見川の東側にあるかなりの規模の城郭で、花見川を瞰制していたのだと思われます。数十年前、花見川を付け替えたとき、城郭の西を流れていた川を城を崩してど真ん中を通したため、西側に一部だけ残ったかっこうになっています。なんとか登り口を見つけたが、空き堀か虎口らしき場所がありますが、突然断崖になるので全体の構造は不明じゃ。

こちら側は川の付け替え以降に宅地化で削られた模様。矢印のあたりを藪漕ぎすると堀切に至ります。

冒険主義的歴史民俗研究者なので登ってみました。堀切部分に入ってしばらく行ってから振り返ってみたもの。左手に主郭らしいのがあるのですが、登ってみてもまた竹藪。背後はしばらく行くと川の付け替え時に削られた断崖になります。

〇武石不動尊、武石館跡 ・・・ 幕張、花見、武石三郷の猟師たちの信仰篤かった波切不動さまです。今では海も遠く、門前を通っていた花見川とも離れてしまいましたが。裏が千葉常胤の四男武石なんとかさんの館跡という。

武石不動尊です。いまでは山中みたいな景観ですが、いわゆる「波切不動尊」(航海の無事を祈る対象)。花見川が前を流れ、海も近かったという時代の船乗りたちの盛んな信仰心が垣間見られる。

不動尊の裏の夜来たら一発で白髪になるかハゲてしまいそうな古い墓場を通り抜けると、高台になっていて、ここが武石館跡らしい。

〇三代王神社 ・・・ ちょうど神楽をやっていました。心のワクワクする音楽だ。えびすさんが釣りをしているうちにおかめを釣ってしまうのをやってました。昔はもっとエッチな所作があったのであろうか。三代王神社はこの付近にいくつかありますが、来歴の看板がないので今のところなにものか不明です。幕張の識者の教示を乞うところ。

おかめが踊ってはりまっせ。

ついでに、ここに記録しておきます。

2月10日(土) ・・・ 文京郷土博物館「晴れ雨ゆき」展。国立公文書館「みんなで食べよう 給食の歴史」

2月11日(日) ・・・ 印刷博物館「明治のメディア王小林なんとかさん」

を観た。勉強になりました。勉強して、何になるかわかりませんが。

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