令和6年2月調査報告(市川)

2月17日(土) 来週からは所用が厳しくなってなかなか調査ができなるなる!その焦りがおれを調査に駆り立てるのだ。

〇真間の井 ・・・ 手児奈が汲んだ井戸と言って江戸時代に宣伝していたそうです。

奈良時代ということはなさそうです。

〇弘法寺古墳 ・・・ 国府台の端にあり、実際台地の崖が崩れてきているので、南側半分が削れてしまっているとのこと。

古墳の上に上れば真間方面の平野が見渡せます。立ち入り禁止ですが。

〇木内ギャラリー ・・・ 加藤高明の義弟、幣原喜重郎の義兄、要するに岩崎家のムコの一人、木内  郎が京都知事時代の疑獄事件以来隠棲していた邸宅の一部を復元したもの。無料で入れます。

洋風館の一部だけが遺されています。和風部分はほとんど崩壊して取り壊されたとのこと。

三十年ぐらい前、今と違って戦史研究家だったころ、国府台城・国府台合戦古戦場、法皇山古墳を見に来ました。当時よりも都市化は進んでいるようです。今回は逆に、国分寺方面に行きます。

そのころはこんな炭水化物中心弁当は持ってこなかった。すべて外食の男らしい時代だったぜ。

〇下総総社跡、国衙跡推定地 ・・・ 体育センターのうち球場のあたりが国衙推定地とのこと。

矢印の木の下あたりに「総社跡」の碑があります。工事中の柵の向こうが野球場で、そのあたりが国衙跡。

〇「感動」銅像 ・・・ すごくよく出来ているんです。髪型など一定の時代の歓声がこだましてきそうな出来。これは昭和27年、ヘルシンキオリンピックの唯一の金メダルと銀は唯一ではないのでしょうが、銀メダルとをとったレスリングの二選手がいずれも市川在住だったことに「感動」した芸術家が造ったもので、ここに飾るためではなかったようです。二科展に出されアジアオリンピック(当時はそういうものがあったらしい)に出品され、おそらくその後まわりまわってここに来たもののようです。

なんとなくLGBTな感じさえする男らしさだ。

〇国分尼寺跡、国分寺跡、そして井上さん家 ・・・ このあたりの大地主だと思われます。国指定史跡となっている国分寺跡の史跡地、国分尼寺跡地は、いずれも井上氏のおかげで保存できている、と書いてありました。天神様のところに井上家の歴史も書いてあって、なかなか読ませる。

史跡地は一か所に固まっていません(ということは家屋や耕地で分断されています)。公園化できている部分は井上家の土地なんだと思います。井上家は屋敷神と思われる天神様を祭っておられ、そこにあった石碑の碑文のおかげで近世以来の旧家であることがわかります。

〇現国分寺 ・・・ 国分寺は三回焼けているそうです。

復原門があります。これはそれを潜った寺内。

〇宝珠院 ・・・ 国分寺の向かいにあります。

薬師如来さまが本尊のようです。庭に、よくわからないのですが、境内にやかんが祀られているんです。

〇腹切様 ・・・ これもよくわからないのですが、ここで酔っぱらった侍が腹を切ったという伝説がある、という。

名前が気になりますよね。

〇官窯跡(北 遺跡)・・・ 縄文以降の長い時代の遺跡のようです。崖面に窯跡、崖下は川岸で、そこに流された「ヒナ」(流しびな)が流れ着いていたのも発見されている。

立札の左下隅にある縦に細長いのが「流しびな」です。

〇六所神社 ・・・ 上記の「下総総社」が須和田の地に移転したもの。

もう暗くなってきていましたが、総社というより現在ではこどもたちが遊んでいそうな鎮守社です。

むかしはものを知らざりき、ですね。手児奈霊廟や国府台城(当時は数方面から当時の戦跡を推定した)や矢切の渡しだけ来て市川に「来た気」になっていた自分が情け無い。今シーズン終わったらまた調べに来たいものである。

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