令和6年1月調査報告(雑司ヶ谷鬼子母神等)

1月22日(日)・・・ 沖縄帰りで寒いぜ。鬼子母神から目白不動まで鎌倉街道を歩く。

〇雑司ヶ谷鬼子母神 ・・・ 久しぶりで来てみました。だんごやはもう商品切れだ。

本堂は撮影禁止と書いてあるので、ここまで離れて撮りました。

鬼子母神ではなくて、平安時代、鈴鹿峠に出たという紅葉姫さまだ。

大イチョウです。女性がお乳が出るように拝みに来たそうです。樹齢500年を超えるということです。

〇目白不動 ・・・ 目白不動で有名な金乗院。

宿坂。鬼子母神から面影橋に降りてくる坂ですが、これが中世鎌倉街道だったそうです。左手に門が見えるのが金乗院。

門を入ってみるとお堂があります。ただし、何度か焼けているらしく、目白不動尊はもう無いみたいです。本堂右手に不動さまなどあり。また、裏手にお墓があって、槍の名人・丸橋忠弥はともかく、仙台藩の豪商で青柳文庫を作った青柳文蔵の墓もあるそうです。暗くなってきたのでまた今度探してみようっと。

〇南蔵院 ・・・ 真言宗のようです。

江戸名所図会で有名だそうです。

〇氷川神社 ・・・ 高田総鎮守。面影橋を渡るともう高田です。

貞観年間鎮座とのこと。前の東日本震災の時です。在原業平も東下りの時に参拝した、と書かれています。

今日は沖縄帰りで寒かったんで、これぐらいしておきますわい。がははは。

鬼子母神の横の家にいた大にゃんこ様だ。

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