令和6年1月調査報告(北勢鈴鹿等)

1月3日(水) ・・・ 伊勢国府跡に行ってみるぞ。

〇伊勢上野城 ・・・ 行きがけの駄賃です。津市河芸町にあり。

もと分部氏の城だったそうですが、織田の伊勢攻めの後、織田信包がここに入った(後、安濃津に移動)。その際、信包の保護下にあった小谷落城後の市姫と浅井三姉妹が住んでいたんだそうです。そこで「江姫ゆかりの地」と書いてあります。そのうち「アチャゆかり」とか「初ゆかり」とかの看板もがんがん立つのでしょう。

本曲輪から二の曲輪を見下ろす。かなりの高低差をつけています(石塁遺構はなし)。この先、三の曲輪を経て伊勢街道、さらに伊勢湾に面した交通の要衝です。信包さま移動後は再度分部氏が入り、17世紀に入って分部氏が近江に移封されると廃城となりしよし。

〇能褒野陵 ・・・ 日本武尊の陵墓として宮内庁が所管しています。

鈴鹿川の畔の能褒野古墳群の中心墳墓で、この地の大豪族の古墳には間違いないのですが、日本武尊実在論争の前に、江戸時代に本居宣長らが比定したのは↓に出て来る「白鳥古墳」。こちらは明治10年代に、日本武尊ブームの際に、陸軍などが推した古墳で、こちらが指定されました。

〇伊勢国府跡 ・・・ ここは伊賀と違ってでかい国府だったようです。

この林に正庁の跡地があります。

〇加佐登神社・白鳥古墳 ・・・ こちらが近世の日本武尊陵比定地でした。

式内・加佐登神社。「かさど」は日本武尊の「笠」と「杖」を祀ったため「かさつえ」→「かさど」となったのである、とのこと。

加佐登神社の裏手の山頂に白鳥塚古墳があります。円墳です。山頂にあることもあってかなりでかく感じる。

鈴鹿はここまで。もっと潰したい古墳や中世城郭がたんまりあるのですが。

1月7日(日)・・・所用でまた南勢地方に寄ったので、丹生大師に行ってみました。

丹生大師は、丹生神社・神宮寺のことです。「丹生」は水銀生産地を指す地名ですが、三重県多気郡のこの付近(採取穴はここから1キロほど離れたところにあるとのこと)は、丹生族出身とも言われる弘法大師が開いた、とされ、「丹生のお大師さま」として親しまれているのである。

お大師さまのすぐ裏にある式内・丹生姫神社。

お大師さまから右手に降りたところにある式内・丹生神社。

そのまた奥にある丹生中神社。これも式内のはず。

近く(といっても車で10分ぐらい)にある佐那神社の陰陽神です。かっこいい。

うな重食う。関西風のしっとりぱりぱりしたやつだ。美味いが眠くなってきます。

以上で年末年始伊勢・伊賀調査とりあえず終了です。

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