令和6年1月調査報告(下総利根川右岸)

1月28日(日)・・・ 少し遠出してみようと思って利根川右岸地域へ。霞が浦がでかかったころはその湖岸だったので、古代~中世の遺跡がたくさんあります。高速代がかかるのであまり来れません。

〇小御門神社 ・・・ 「小御門」とは、元弘の乱の際、後醍醐帝の身代わりに延暦寺に立て籠もったことから「小御門」といわれた藤原(花山)師賢のことです。ここ下総名古屋に配流されて死去した。そのお墓が公家塚。明治になって南朝の功臣として別格官幣小社として祀られました。南朝功臣15社の一だそうです。15なら肝冷斎の寿命までになんとかコンプリートできそうかも、と興奮してしまいますね。

別格官幣社です。雰囲気いいですね。

こう見ると明るい雰囲気ですが、神社裏で入らずの森になっており、塚上には五輪塔らしきものが立っていて、夜はコワいと思いますよ。

神社裏しばらく行くと、中世城郭小御門城址です。この森のあたりのはず。

中に入ってみると大変でしたが、とりあえず土塁、虎口らしきものは確認できました。矢印あたりが主郭への虎口だと思います。

藪の中歩いて疲れたんで、神社裏の梅林でメシだ。コロッケ美味い。

〇成田市下総郷土資料館 ・・・ 無料です。誰も出てきません。

たいへん立派な施設です。

勝手に見ます。ナウマンゾウの頭や民俗資料もおもしろいが、なんといっても付近で出た形象埴輪のかっこいいのが印象的。矢印の「ムササビ様埴輪」(さま、ではありません)は日本唯一の例だ。

〇高岡藩陣屋跡 ・・・ 農協になっているようです。碑石もありません(立っているのは宮嶋立斎という人(明治の化学者?)の記念碑)。高岡藩は三河以来の譜代・井上氏の一万石の藩で幕末までちゃんと藩だったんです。

藩校もあったみたいです。

〇下総小松城・篠塚神社 ・・・ 城はがんばって主郭まで昇ってみましたが、竹がすごくて虎口の確認などはできません。神社は16世紀に小松城主の城氏が創立。裏は馬場古墳。おそらく16世紀はこの前ぐらいまで湖だったはず。

この崖を攀じ登って主郭らしきところまで入ったが、そこも竹だらけで動けない。別に竹だらけの虎口があるようだが、竹だらけで至りつけません。

篠塚神社です。上のお城のひとが作ったみたいです。お寺も近くにあります。小松の惣村の鎮守だったのでしょう。

〇神崎・西の城貝塚 ・・・ 縄文早期1万年前の日本最古といわれる貝塚です。

昭和30年ごろに三大学共同で発掘したらしいです。施設の中に地層が見えるようにしてくれてあるのですが、閉まっています。大霞が浦の湖畔だったんです。

〇神崎城 ・・・ 西の城、中の城、東の城をコンプリート。

〇中の城古墳 ・・・ 中の城にある前方後円墳。ここは霞が浦から見上げることができたはず。形のいい古墳です。

中之城の主郭。向こうにあるのが中之条古墳(前方後円墳)です。いい形しています。

東城の主郭あとと言われる稲荷神社付近です。少し日が傾いてきており、夜になると恐怖で白髪化しそうな状況だ。竹を切っている人もいてちょっとこわかった。

東の城の虎口側と思われるあたりにある疱瘡神社。ゲゲゲな木が魅力的です。

〇神宮寺 ・・・ 中の城の下にある真言宗のお寺です。ここにしかないというかっこいい絵馬を見よ。

この山門もおもしろい造りをしていますが、いい色しています。明治期のもののようです。

観音堂の絵馬。丸印は「男衆観音」。男性が観音様に禱っている。

この絵柄が「女衆観音」。左右のホヤみたいなのが女衆。41人いる?

あと神崎神社と古墳✕2,陣屋1などを予定していましたが、日が傾いてきたので、今回はこれぐらいでカンベンします。

中の城あたりから見た利根川方面。往時はここまで霞が浦だったはず。

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