令和5年9月調査目録(室蘭八景等)

今日は室蘭周辺。写真はこれからです。

〇室蘭八景 ・・・ 絵鞆半島太平洋側の絶景を選んだもの。

トゥカリショ。「あざらしの岩」の意だそうです。松浦武四郎が地名つけた。良質な漁場であったという。

金屏風の名は昭和5年に委員会がつけたものだそうです。夕陽があたると金色に見えるからだそうです。この岬の先っぽはアトカニ(われらの矢を射るところ)といわれるそうです(この名前はあちこちの岬の先っぽにある。三浦三崎の通り矢伝説を思い出しますね)が、ここからトゥカリショに二つの月が出た時、矢を射て一つを落としたのだという無茶苦茶かっこいい伝説がある。

地球岬。ですが、アイヌ語の「チ・キウ」(崖)に数十年前に「地球」と当て字したんだそうです。展望台にはカップルで鳴らす鐘とか、歌がかかっていて、昭和伝統的な観光地らしさが出ていてよかった。

茶剌内(チャラツナイ)。カムイコタン(人間の住む場所を創った神)が天地を製作した後、使わなくなった道具類を棄てた場所なんだそうです。木の柄やゴミ類は悪魔と化して人間たちの世界に散らばって行った。石斧だけは朽ちることなく、今も海に突き立っている・・・のが、真ん中の石だそうです。この石はこの角度では見えませんが、穴があいていて小舟が通れるので、そこは明治観光で「蓬莱門」と名付けられた。

マスイチセ。海鳥の棲み処、という意味だそうです。「入江の入り口の白い岩」に海鳥がいた、というのですが、どの岩なのかよくわかりません。

測量山から室蘭港、製鉄工場などを見下ろす。「測量山」は明治初年のフランス人のひとが測量の起点にすべく目を付けたところだそうで、三角点があります。太平洋側、駒ケ岳・噴火湾方面を含めて室蘭四方がすべて見渡せるすばらしい景色です。

ハルカラモイ。食糧を捕る入江、の意だそうです。チャシがあった説もあるようです。

絵鞆(えとも)岬(公園から大黒島方面を見る)。「絵鞆」は幕藩時代の室蘭の地名で「えんるむ」(突端、岬の意)が語源という。大黒島の右手の入江に絵鞆番所が置かれた。その向こうは噴火湾である。

以上、室蘭八景(昭和5年選定)でした。

上の写真をとっている公園とその東側のこの高地は、エトモチャシの跡地だということである。掘割などの遺構は無さそう。

絵鞆とハルカラモイの間にある「銀屏風」。ほかにもいいところたくさんありました。室蘭のソウルフード・カレーラーメンはちょっと期待どおりではなかったが・・・。期待が大きすぎたかも。

〇北黄金貝塚 ・・・ 東北・北海道縄文遺跡の一つとしてユネスコ世界遺産に指定されました!

でかい。農地を買い取って遺跡として保存しているようです。この丘肌一帯が遺跡で、長い時代にわたって人が暮らし、大規模な貝塚を作ったそうです。左手隅にある白いところは貝塚跡の一つ。丘を降りた先に海が見えますが、縄文時代はこの丘の下(真正面の繁みのあたり)まで海だったそうです。

上の写真の右端あたりにこの復元竪穴住居があります。ここには泉があって、数世帯が住んでいたとのこと。

〇館山チャシ ・・・ 公園の一部ですが、二重の濠と土盛りが遺り、道東の大規模チャシよりも大きい、といわれる。

もう伊達市内に入っています。公園になっている丘の先端部、この一帯がチャシ跡。

上の写真の左手にこの二重の堀切があって、丘とチャシが切り離されています。典型的な丘先形チャシです。濠の深さ、丘の向こう側が三方とも懸崖になっていることなど、これはいいチャシですよー。

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