令和5年7月調査報告(大謝名)

7月22日(土)・・・・・・・・・・・・・・・

真夏の沖縄を横断するぜ。

歩き始めたころは元気だった。

〇ちゃびたん(北谷)・・・アメリカンビレッジの近くにあるアート喫茶です。知り合いが出品しているので見て来い、とのこと。作品値段が目の玉飛び出すぐらいつけている。わたしがいる間にもチャイナの人が来てましたが、アメリカやチャイナの人がにこにこ買っていきます。円安のおかげだそうです。

チャイナ資本(店員さんもチャイナのひと)なのでパンダ茶が名物。

〇大謝名 ・・・ 西海岸の大謝名からてだこ浦西まで行くぜ。
・大謝名の火ぬ神、土帝君 ・・・ いまの大謝名の集落の祭はここから始めるそうです。

正面の祠の左側の石組が地頭火ぬ神。右側には石があって「上の山御嶽」と彫ってあります。戦後基地拡張で滅失した同御嶽を遷してあるとのこと。左側の祠が土帝君祠。

なお、この左下側の崖下に、軽便鉄道大謝名駅があったとのこと。

・黄金宮(くがににゃ)・・・7月21日の察度王が宮殿を建てていたところです。

このあたりは沖縄戦までは松が植えられ、広場(もー)になっていたとのこと。

「琉球国由来記」(巻十四)によれば、
コガネミヤヨリアゲ森 神名、真次良(まじら)御イベ
此森者(は)、昔、察度王、践祚以前、大謝名村に有御住居。何の時代より有之哉、金銀ありけるを得給ふ、霊地とて楼閣経営あり。依之金宮と称し、崇也。「中山世鑑」に詳也。

とのことです。察度王は「まじろう」なんですね。

・まてーし ・・・ 大謝名の根人の邸宅跡という。

もちろん「又吉」の方言よみです。小さな祠が立っていて広場は立ち入り禁止ですが、お祭の時にはここで獅子舞をするらしい。

・かにまん宮 ・・・ お祭の時はここが最後の祭場になるようです。

参詣路がわからず、隣のマンション下に入り込んで撮ってしまったので怒られるかも。「琉球国由来記」の「コバブツソサン森」(神名不伝)ではないかとのこと。

かにまん宮の裏手にある古墓。なんとか王の長男の墓だと書かれています。察度王系のどなたかなのでしょう。

このあと、歩いて古本屋に行って重い本を買ってしまい、てだこ浦西駅まで歩き、構造上1キロ近く遠回りせねばならないなどの仕打ちで、熱中。さらにネコ部屋の片づけにも駆り出され筋肉痛も。

てだこ浦西駅近く、熱中寸前のころの空。

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