令和5年12月調査目録(花園城)

12月16日(土) ・・・ 埼玉県寄居町の花園城跡と花園御嶽城跡へ登城じゃ。

〇花園城 ・・・ 鎌倉時代以来の藤田郷主の詰めの城で別名「藤田城」だそうですが、北条氏に乗っ取られて山岳戦の名手・氏邦の居城となった。
豊臣・北条戦争で落城し、氏邦は前田家預かり、おくさまの大前の方は自刃したという。

表口の諏訪神社からでなく裏口から登ることになりました。いやになるぐらい峻険でしたが表からでも同じぐらいらしいのでオーケー。

尾根部分が連郭になっています。その尾根部分に登る最後の断崖。ロープを伝って登らせていただく。

このような堀切遺構に登りつきます。この一方に登って尾根筋の郭を伝っていくと本曲輪に到着。

クマでも人間でもこんなところで出会うとイヤだなあ、と思いました。何の物音もしません。

飯でも食うか。いわしの甘露煮299円美味しうございまいした。ごはんが固いのは、わたしが一合だと思っている量が一合より多いので水が足らないのだろうと想像されます。明日はもう少し水を増やしてみます。

本曲輪内。土塁遺構がはっきりしています。

くだりも大変でしたが、久しぶりで「山城行ったでー」と胸を張れるような山城でした。

〇花園御嶽城 ・・・ 花園城の北の独立峰の山頂近くにあり、円良田湖を見下ろす支城的存在であったと思われる。城跡とされる平坦部には御嶽をはじめ板碑が大量の建てられています。

夜来たら一晩で白髪または禿頭になりますよ、というような雰囲気。

尾根続きに少林寺まで行けるのですが・・・。

〇釈迦石仏・千体荒神 ・・・ 少林寺裏山に19世紀に作られた信仰の場です。千体荒神の中には乃木将軍のおやじの希次の奉納したものもあるそうです。

オシャカさまの石像です。少し見ずらいですが、ここまで来ると急に森が晴れて明るくなるので有難い感じがします。

千体荒神です。この板碑に漢字や梵字で「荒神」と書いてあります。

さらに下ると五百羅漢なのですが、山間で日が翳ってきたので、今回はここまで。

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