令和5年12月調査報告(行田・白山古墳群等)

12月3日(土)・・・・・・・・・・

埼玉県行田の有名な「国指定史跡 さきたま古墳群」の指定漏れしたグループである白山古墳群を調査。この数年でもいくつか削平されており、指定されないとこうなるのだ、という見せしめのような状態です。(さきたま古墳群の指定地内の古墳も指定までにずいぶん湮滅してるんですよ)

広場で炭水化物弁当を食べます。白身魚フライ80円にウスターソースをつけたものが冷えて美味かった。世の中、ソースとしょうゆと味噌ぐらいしか美味いもんないで。あとカレーか。

〇白山愛宕古墳 ・・・ わずかに一部だけが食べ残しのように残ったところで、公園になったもよう。

丸印のところだけ残りました。周濠の位置をブロックで示すと書いてあるのですがブロック無いよ。

〇神明社古墳 ・・・ 墳名からみて上に祠があったので生き残ったのだろうと思いますが、もう祠は無いようです。時間の問題か。

まあ今までよく遺してもらえたなあ、とも思います。こんなものふつう要りませんよね。

〇白山神社古墳 ・・・ 白山姫神社が祀られています。この古墳は、さきたま古墳群の巨大古墳に葬られた国造系列の7世紀前半ごろの最終的な墳墓(子孫かどうかは不明)と考えられていますが、指定されてないからダメだな。

右手に集落の会議所もあるので、地域が守っていくと思いますよ。未発掘だが石棺の石材の一部が露出している。

さらに北方、さきたま古墳群とは別グループとされる若小玉古墳群に行きます。

〇八幡山古墳石室 ・・・ 「関東の石舞台」の名のある石室ですが、ここがこんな剥きだしになったのは、昭和戦後に周囲が工場用地になって、その土地造成のために巨大な円墳(7世紀初)を掘り崩して土を使っていたところ、中からこんなのが出てきてしまった、というものです。
国宝ではないので上にも乗れそう。子どものころ、奈良の石舞台の上に乗って遊んでいたひとがいるそうですが、あれは国宝だから上に乗るとはけしからん。

これが「石室」です。土日は入れます。

内部です。このあと入ってみましたが、隙間から太陽光線が入ってくるので意外と怖くないです。一番奥の玄室だけは光入ってこないのでやめときました。

外部です。近くまで行けるし「のぼるな」とも書いてないので登れそうですが、かなりでかいので登るのたいへんそうだ。もう少し若ければなあ、と思いました。

〇地蔵堂古墳 ・・・ 若小玉古墳群は八幡山とこの古墳を除き、すべて削平済みで、調査がされたのも三方古墳(前方後円墳)、荒神山古墳(円墳か?)ぐらいだそうです。この地蔵堂は、石室に関東では珍しい線刻画があり、早くから県が史蹟指定していたので遺りました。ちなみに肝冷斎は5年以上前だと思いますが、ここは来てるなあ。

矢印のところが石室入口(ここは閉ざされている)。上に地蔵堂があります。

ちなみに、こちらが「さきたま古墳群」の一流の古墳だぜ。

〇丸墓山古墳 ・・・ 日本最大の円墳。墳頂には1590年、石田三成さまが本陣を置いて、忍城を水攻めなさった。詳しくは「のぼうの城」を読まれよ。

この通路が石田堤。左側には荒川の水が引き込まれ、忍城まで一帯が水没した・・・が、城は落ちず、羽柴・豊臣秀吉軍が落とせなかった唯一の城と評価される。正面奥に丸墓山古墳の石段(99段のよし)が見える。初めてきたころはがたがたの登り道でしたが、すごく登りやすくなりました。

墳頂からです。矢印の下あたりが忍城本丸。いまはニセ三階櫓(博物館)が立っています。小さくて見えないですが。

〇稲荷山古墳(手前)・将軍塚古墳 ・・・ かっこいいの一語につきます。

高いところはキモチいい。丸墓山古墳墳頂より望む。赤が稲荷山古墳(鉄剣の出たやつ)、青が将軍山古墳。

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