令和5年12月調査報告(多摩)

12月17日(日)・・・久しぶりで縄文遺跡へ。

40歳ぐらい(21世紀初頭)までは何がなんでも縄文、縄文はシアワセをもたらす、という考えでおり、当時はかっこいい古墳や中世城郭も「縄文じゃないからな」と顧みないぐらいだったのですが、高年齢化した最近は、縄文時代の人が、人類学的・生物学的にはともかく、社会的に現在の我々とかけ離れ過ぎていることから、だんだん興味を失ってしまっています。(→岡本全勝さんも同じような違うようなことを言ってます。)
だが今日は縄文を探しに行くぞ。冬至が近くなると古代へのあこがれが強まるようである。

〇東京都埋蔵文化財センター ・・・ 多摩センター駅の横にあります。多摩ニュータウンの建設ですさまじい数の遺跡を開発前調査しなければならなくなったので、ここに置かれたのだそうです。
このあたりは縄文時代大変条件がよかったみたいなので、北海道や東北のような開発状態だったら今頃、「世界に誇る縄文遺産」みたいな顔をして観光名所に出来てたかと思いますが、もっと大事なこと(カネもうけ?)に使ってしまいましたので、跡形もありません。

触ってもいい、と書いてあるのであちこち触りました。いい手触りなのでにやにやしてしまう。

これはガラスケースの中なので触れません。木製品やわらじまで遺っているんです。

石器だ。これもケースの中です。変な石棒とか触っている人いたら変な目で見られますよね。

「多摩ニュータウンのビーナス」といわれる土偶だ。「変な名前ざますわね」と言ってそうですが、「サンリオビューロランドもあるからガマンしろ」というところでしょう。

所蔵庫内が見えるようになっています。小麦色の健康的なお肌のお色気むんむんな感じです。

他にも土器UFOキャッチャーとかおもしろそうなものもありました。

〇遺跡公園 ・・・ ここの復元住居は、実際に発掘されたところに復元されているので、動態保存みたいなものです。

竪穴住居と敷石床住居とあるんです。縄文時代は暖かかったみたいなので、これで中で暖炉の火があれば冬も大丈夫だったかも。でもトイレに起きた時寒そうです。

五色の光が射してくる中、めしを食います。1.5合分ぐらいの水を入れたら少し柔らかめに炊けました。1.2~1.3合ぐらいあるのであろうか。

〇田端縄文遺跡・環状列石遺構 ・・・ 今回の目的はここ。縄文中期から晩期にかけての住居・墳墓遺跡ですが、関東では珍しい環状列石が1970年代に発掘された。その後、神奈川県の指定史跡となり、平成後半からは遺跡公園が整備された。
肝冷斎の横浜在住期には公園化されていなかったので来る機会がなかったのである。

まるの部分が↓の列石遺構です。上の矢印部分が、小山白山公園のあたり。

すぐ背後の小山白山公園遺跡は多摩市内にあるので東京都埋蔵文化財センターでも紹介されていますが、この田端環状列石は有名遺跡ですが、神奈川県相模原市なので一言も紹介されていなかったのが大人の事情は理解するが「可笑しい」ですね。

現代行政へのごたくをともかく、この遺跡はやはりしびれますね。ここで祈った人間の大きさがそのまま感じられるような雰囲気があります。冬の陽光で向こうの方がかすんで見えるのも何やらありがたいではありませんか。

なお、この石はレプリカで、同じものが地中に埋まっています。長縁方向に富士山が見えるというが見えませんでした。蛭が峯に冬至の日没が見えるらしい。

〇町田街道沿い ・・・ 地蔵堂、秋葉神社などがありました。

〇町田市立国際版画博物館 ・・・ 行きがけの駄賃的に言ってみましたが、見たかった企画展は先週までだった。

入場無料、というので変だなあと思ったんだ。

まあでも今日は環状列石の中に立って永遠なるものとつながったはずだから、OK。明日からシアワセになることでしょう。

四日か五日ぐらいの月がかかっています。もうすぐ冬至、過ぎ越しの祭である。

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