令和5年12月調査報告(北中城)

12月9日(土) ・・・ 北中城村の三集落を調査。仲順の集落に入ったあたりで鎌を持ったおばあがいて、一瞬八つ墓村みたいにヤられるかと思ったが、標準語で「今日は暑いですねー」と言ってました。

〇喜舎場 ・・・ 喜舎場は喜舎場公が村建てしたという村で、義本王(舜天王系)のころであるという。
・龕屋(がんや)・・・「龕」は棺を入れてはこぶ「輿」。村で交替で使えるように保有していた「龕」の保管庫、ということらしいです。

コンクリの覆屋の下に龕屋と龕が入っているようです。戦後はほとんど使われていない模様。

・ウフカー ・・・ 「大泉」です。産湯や若水にも使われたという。

戦後はポンプ2台が置かれていたというが今は痕跡なし。水はまだ湧いているようです。

・ビンダガー ・・・ 創設年代不詳だそうです。

「びんだ」は「ばんた」(崖)のことだと思います。斜面下に湧いています。戦前はこの後方にサトウヤー(サトウキビ絞り屋)があったそうです。

・仲間根屋 ・・・ 根屋は根所(男性司祭。村長を兼ねる)の家だったところ、だと思います。

根屋に行く前の家の塀の上に、こんないいやつがいました。吠えもせず、手をなめてくれるし、写真を向けるとこのポーズだ。

中は覗けません。


・石獅子 ・・・ 西南方の巨岩を睨んで火伏していたらしいんですが、その岩が基地の中になって削平されてしまっているそうです。

なんか元気ないですよね。シゴトがなくなってしまったからなのでしょう。存在意義が見いだせないのだ・・・。

・喜舎場公の墓・祖先子孫墓

いよいよ喜舎場公の墓に登ります。集落の腰当て(裏山)になっていたところでしょう。

階段を昇りきるとこんな状態に。

左に曲がると「喜舎場公の墓」がありました。

喜舎場公の墓の真向かいにある、喜舎場公のご先祖・ご子孫のお墓。

・イーヌカー ・・・ 喜舎場公の墓からさらに奥に入っていきます。

沖縄の「聖なる形」である三角形の形に折れた崖下に「上の泉」がありました。

・イラブカー ・・・ さらに奥に行くとあります。

水は涸れてしまっているみたいです。雨降ると流れるのかな。

イーヌカーとイラブカーの間ぐらいの登り口を昇って行くと、近年開かれた公共施設の駐車場に出ます。そこをさらに行くと、

・王妃御墓 ・・・ うなじゃらうはか(女按司御墓)と呼ばれています。ここもやばい感じの森の中でした。義本王の妃の墓である、とのこと。義本王のお墓は国頭にあります。

のらのネコが二匹いましたが、すぐ逃げました。この左手に通路が通じていて、最後は道路に出るんですが、その途中に蓋が外れた御墓やガマの入り口があって夜はコワいと思います。昼でも粛然たるものがありました。

王妃墓の裏から東に向かうと仲順集落があります。
〇仲順(ちゅんじゅん)・・・義本王時代に村建てされたという。 
・ナスの御嶽 ・・・ 義本王や舜天さまを祀っている。

村建ての初めごろはこの御嶽周辺に屋敷があったらしいですが、今は東南方に離れて人家があります。この御嶽まわりも鬱蒼たる森だったと思いますが、今は前を道路が通り、おいべ(至聖所)の岩とその上の石塔が見えるようになってしまっています。(中央の門構えみたいなところが拝所で、その奥はすぐに岩になっています)

・仲順大主の墓 ・・・ 村建てした人だそうです。お墓の穴から中が少し見えるのですが、中が光っている・・・どうやら岩に裂け目があって日光が入り込んでいるようです。

ナスの御嶽から東へ200メートルぐらいの住宅地の真ん中にあります。

仲順大主の墓の前の住宅の庭にちょっと入り込んで東側、中グスク湾の方を見る。船の来航が見えるところ、が按司時代の城館の条件ではないかと思います。

・イージョーガー(上門泉)

おそらく以前は、この泉より上は、聖なる場所(御嶽と大主の御墓だけがある)ということになっていたので、上門の名前がついているのだと思います。今はこれより上にもたくさん家がある。

・仲順公園 ・・・ ここも御嶽っぽいところです。ナス御嶽の「下の御嶽」だったかも。仲順節の碑あり。

拝所の後ろの岩山には金網があって入れなくなっています。地形からみて琉球石灰岩の山頂のようになっていて、太平洋が見えると思われる。

・カーグァー ・・・ 仲順のひとびとの産ぶ水になっていたそうです。

いまでもお祀りの時にはここに禱りに来るそうです。

〇安谷屋 ・・・ 若松さま(執心敵討の主人公)で名高い。もともとこの地の人だったが、少年時代から俊才を謳われ、かたき討ちの後首里王府でえらいさんになった。死後、この地に墓を定めたという。
・後原(くしはる)のヒージャーガー・ミートゥーガー

ヒージャーガー。後原(くしばる)なので安谷屋より山奥にあるんですが、裏山の方の仲順から降りてきたので、こちらが先になりました。

こちらがミートゥーガー。今は仲順・安谷屋の間を自動車道が走り、北中城の村役場もあって都市化しているのですが、往昔は辺鄙な地であったのだろと想像されます。

・中グスク若松の墓 ・・・ むかしは巨岩の上、一部の女司祭たちだけが攀じ登れる聖地だったのでしょう。

現在は安谷屋の若松公園の中の丘の上にあって階段で登れます。

西の方を望むと東シナ海が見えます。上の仲順大主の墓からの眺望と合わせると、沖縄中部の東西を瞰制することができる。

東側にはこの「安谷屋城」があります。今回はここまで行けば目標達成だ。登り口がわかりませんが。なお、左手側に公園グランドがあります。そのあたりがもと「若松屋敷跡」という遺跡だったそうです。

・安谷屋の根所 ・・・ グランド整備時に少し動かされたとのことです。

いい感じの岩陰にあります。

・若松の火ぬ神 ・・・ こちらは若松墓の近くの丘上に移されています。もとは若松屋敷遺跡内にあったもののようです。

ネコが住んでそうな感じ。

・安谷屋グスク ・・・ 登り口は別にあることが後でわかりましたが、とりあえずグランド側から昇ってみる。

イーヌカー(上の泉)です。グランド側の崖際にあります。

イーヌカーの横の道を登っていきます。

「何もない空間」がありました。これは御嶽の雰囲気。「上の御嶽」です。ここで祭祀が行われたのだと思いますが、当時は女祭司たちだけしか入れなかったはず。
この奥にイビ(至聖所)を示すと思われる石が二つ置かれていますが、写真撮るとヤバそうなのでそれが写り込まない角度から撮りました。

この先からも降りられそうなのですが、後ろに戻ってイーヌカーの脇から降りていくと、本来の登り口に降りられました。この登り口にある拝所の脇からイーヌカーとは逆側に登ると、

クガニジガーがあります。木と木の間にガマの口が開いているところがガーだと思われます。
人家からそう離れていないのですが凄い森の中のような雰囲気で、夜来ると方向感覚おかしくなって彷徨い続けるかも。

・ウフカー ・・・ 安谷屋グスクからは降りてきました。集落の中にある村の大泉。

住宅の間の駐車場にあります。今も水量はそこそこありそう。

ここまで喜舎場から2時間以上、歩数で2万歩歩いたので、さすがに疲れました。普天間に出てバスで那覇へ。

今日はいい天気で暑かったねー。

那覇で那覇ネコの尻叩け攻撃を受ける。

どこほっつき歩いているんニャ、早くたたくニャー!

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