令和5年12月調査報告(八丈島)

12月24日(日) 昨夜東京出発、明日はまた一日かけて赦免船で帰るので、調査は今日一日、むかしはレンタカー入りのツアーがあったのですが、コロナで無くなったみたいなので、電動自転車を借ります。

電動自転車で三原山麓一周。

八丈小島です。50年~60年前までは集落があったんですが、過疎のため全村引揚げに。今は釣りの人が渡っているみたいです。一度行ってみたいですね。

アロエ園のキダチアロエ。曇天の下に赤い花を咲かせている。

明治時代に掘られたメッポウ井戸。「メッポウ」は巻貝の一種の方言名称だそうですから、本土でいう「まいまいず井戸」と同じ語感なのでしょう。ぐるぐるを降りてみちが、実際にはぐるぐると降りていく(登ってくる)のではなくて、段々畑みたいになっていて端っこに登り口・下り口があるだけです。行きと帰りがぶつからないようにしてあったのかも知れません。

〇大賀郷 ・・・ 島の西南側にあります。古い村です。

式内・丹婆那神社。八丈の島建ての丹婆那さまは、息子の息子と娘を生んで子孫を増やした方ですが、この神社の伝説ではそうではないようなことになっているそうです。

為朝神社。為朝さまは島内他にも祀られていますが、この為朝さまは道沿いにあって塞の神の役割も果たしているのでしょう。

北条~江戸時代初期の陣屋があった場所。宇喜多秀家もここにまず来たはず。

今回の最大の目的であった「人棄て穴」。飢饉時に老人を棄てたのだ、という伝説になっているようですが、洞穴としては小さいので、「風葬墓」であったという言い伝えの方が正しいのかも。左手に行くと穴の入り口があるのですが、みなさんコワいでしょうから写真はアップしません。一度行ってみてもいいかも。

〇三根郷 ・・・ 現在の中心部です。

護神山神社の祠。この山はもともと火山で、火口もいくつか確認できます。旧日本軍のトーチカ跡もあります。

島寿司食います。大将の人命救助の話など聞かせてもらう。五年ぐらい前も来ているはずなのですが、その時はお客さん多くて人命救助の話どころではなかったと記憶しています。

宇喜多秀家邸の跡。五年前もここまでは発見できました。テレビドラマ「前田利家」以来だんだんきれいになってきました。

これまで到着できなかった宇喜多秀家墓に到着しました。まわりはご子孫や部下のみなさま。五輪塔は天保期にご子孫が建てられたもので、その左側にある小さな「位牌形」のもの(「南無阿弥陀仏」とのみ刻字)がもとの墓標とのこと。名前や戒名を刻むことは許されなかったのだという。

八丈島博物館が改装中で、都の施設の中にある八丈島資料館に移っているというので見に来ました。「博物館」にあったすごいたくさんの資料が移転できているはずはない、と思っておりましたが案の定です。ただ、まあ「博物館」がすごすぎただけでしょうけど。来年には改装が終わるので、どんな展示になるのか楽しみです。高見山と金玉均の関係展示はどこに隠したアルか。

このあと落とし物をしたのですが、親切な人が拾って宿まで届けてくれました。本当にありがたいです。コロナの間は、地域ネコの世話もあって(昨年末から不明。保護されたか〇んだか)来てなかったんですが、やっぱりいいところです。地域ネコもまだたくさんいるし。時間の流れもいい感じ。

こんなやつらでにゃん。

もちろんこれらはごく一部でにゃん。どのあたりに多数生息しているかわかりました。

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