令和5年9月調査報告(首里石嶺・当山)

9月30日(土)、久しぶりの調査です。観タマ季が終了して、調査主体になるはずなんですが、疲れやすくなっているので今年からはもうムリかも。(写真はじわじわ)

〇首里石嶺 ・・・ このへんも昔は寂しかったのでしょう。
・行脚(あんにゃ)村跡 ・・・ 安谷村とも。うまくいえば、京太郎の故郷です。
・伊江御殿(いえ・うどん)・・・ 伊江王子家の墓です。

入れました。近代の伊江家当主三代の顕彰碑もあります。

〇浦添城から当山へ
・浦添城
・浦添ようどれ

こんなんですよ。沖縄戦の激戦地でもあります。

下から見上げるとこんな感じ(に修復されました)。真ん中の石塁の中が上の写真のようになっています。


・当山石畳道(当山橋・昭和25年)
・当山のウフガー
・当山出身の外交官・田場さんの記念碑。1900~1930年ごろの中国各地の領事館、満州国公館員として活躍。

沖縄時代はいつも英語の辞書を持ち歩き、学者ぶー(勉強バカ)と言われたそうです。

〇安川のチチフジャーガマ ・・・ 戦時中に避難洞だったので戦時中の遺品が散在している、とのことでしたが、後生甕あるやん。

一片だけ6600年前の土器片が出ているというので侮れないというか、オーパーツでは。

雨宿りさせてもらう。はじめは森に守られているんだ、と思ってましたが、そのうちどんどん降ってきてしずくが多くなり、あまり守られてない気持ちになりましたが、総体的には大感謝。

今回は以上。雨の中よくがんばった。

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