一慟幾絶 (秦淮画舫録より)

ルッキズムは親のかたきでそうろう。ゴルゴン三姉妹登場!


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南京・秦淮河あたりの妓女に宮雨香、名・福齢なる者あり、
桃花頬残、柳葉眉濃。離合神光、不可迫視。
(桃花の頬浅く、柳葉の眉濃し。離合の神光、迫視すべからず。)
桃の花のような頬紅は色浅く、柳の葉のような眉は翠濃い。すれ違うときに不思議な輝きがあって、じっと見つめていることができない。
というような美女だったそうなんです。
―――ルッキズム!
うるさいなあ。昔の人が書いていることだからわたしに怒ってもしようがないですよ。
性格は恬淡としていて雅やか、お客に対して文句を言ったり冷たく接したりすることは、「甚だしからず」と評されていますので、あまり無いけど全く無いわけではなかったようです。
玩花園の近くに聴春楼という妓楼があって、そこに住んでいた。庭には梅や竹を植え、小ぶりの部屋は静かで、(冬は)厚めのカーテンを引き、(夏は)涼し気な花棚をめぐらしていた。時に二三人のなじみ客(「心契」)とお茶会を開き、退屈しのぎをしていたようだ。
しかし、思いをかけるわけにはいきません。
吾友子固早有盟訂。
(吾が友・子固つとに盟訂有りき。)
わしの親友、子固と、以前から将来の約束があったのだ。
ところが、子固は科挙試験を受けに北京に行って、そこで亡くなってしまった。
その知らせを聞いても、彼女は淡々としていたが、
先為姫作折梅小照、自題四律以志蘭絮因縁。至是、令兄子山寄帰江南。
(先に姫のために梅を折りて小照を作り、自ら四律を題して以て蘭絮の因縁を志(しる)す。ここに至りて兄・子山をして、江南に寄帰せしむ。)
子固は亡くなる前に、お嬢のために梅の花を挟んだ小さな自画像を作って、そこに自筆で四言の八行詩を書きこんで、そこに二人の関係を歌いこんであった。そして、兄の子山に頼んで江南(南京)の彼女のもとに届けさせたのである。
「蘭絮」はおそらく「蘭芷」(らんし)のことで、「楚辞」に出てくるコトバ、「蘭」(らん)と「芷」(し)はいずれもよい香りのする草花で、近くにいたくなるような美女と賢者を表す(んだと思います。違ったら知らんけど)。
姫、読之余、一慟幾絶。
(姫、これを読むの余、一慟してほとんど絶せり。)
お嬢は、これを読んだあと、「わっ」と一声泣き叫んで、そのまま死んでしまいそうになった。
―――という、それだけのお話です。
彼女は恬淡としてその後も同じような生活を続けているようですが、
或云、姫元城北担水者女。芝草醴泉、豈有根源哉。
(或いは云う、姫はもと城北の担水者の女なり、と。芝草・醴泉、あに根源有るかな。)
あるひとが言うには、「あのお嬢はもとは北郊から町にやってくる水売り屋の娘だったんだぜ」と。なるほど。香よい草、味甘い泉の水のような性格はには根っこがあったんだなあ。
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清・捧花生「秦淮画舫録」巻上より。下らん。なんだ、これは。こんなオンナの腐ったような惰弱な文章を紹介したのは何故か! こんな漢文もあるんですよー、というだけなんです。が、「この上ないほどのルッキズム!」「忌まわしい性売買容認!」「封建的ジェンダー至上主義者!」の激しい誹りにもうイヤになってきた。もう二度と引用しないことを誓います。知らんけど。(2023.2.9)
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